2021年3月9日火曜日

一人ひとりができることを

昨年からのコロナ禍は、スペイン風邪以来100年に1度の危機だという。収入の道を絶たれて厳しい暮らしを送る人がいる中、我々の支援活動も十分といえるには程遠く、人を支えることの難しさを感じている。

支えたい相手は多様だ。東日本大震災、コロナ禍、シリア紛争、出来事に一つの名前を付けたとしても、被災状況もその後の回復具合も十人いれば十通り、百人いれば百通りある。その気持ちに至っては、一人の人の一日の中でも変化して捕まえることは決してできない。

一般的に、人は、心が元気な時、どんなことでもできる気がするのではないだろうか。活力に溢れ、多くのことをテキパキとこなし、誰にでも優しくできる。自然災害の様に、自力で防ぐことは不可能な場合でも、悲しい出来事に遭遇すれば、心のエネルギーは奪われる。心のエネルギーが奪われると、自分を責めたり、無力だと感じたりして、更に心のエネルギーは失われていく。本来やれるはずのことができなくなり、表面的にいくら元気そうにしていても、心がどこかをさまよい、集中できず、人と話すことが難しい時もある。

そんな日々を積み重ねて10年が過ぎた。あれから10年と言われる時、東日本大震災で被災された方々の胸に去来する思いはきっと、多様すぎて『これだ』と言えるものはないだろう。その多様な気持ちと多様な状況を抱えて、日々の暮らしがまた積み重ねられてゆく。であれば、本当に良い支援とは何かという問いの答えも一つではないと思う。

多様な個人の営みを、多様な個人や組織ができる形で支えて行く。一つひとつの営みが織物の様に絡み合って復興という名の支え合いが進んできた。これからも、できることをやろうとする一人を支えることから、全てが始まり、続いてゆく。

2020年3月11日水曜日

3月11日に寄せて


 今年も311日を迎えた。
 9年経った今も、避難生活を強いられている方もいる。東日本大震災と福島原発事故は、直接被災していない人も含め、多くの人の人生を完全に変えてしまった。
あのような悲劇は、二度と起きて欲しくないが、地震や災害を止めることはできない。ではどうすればよいのだろうか。いうまでもなく、被害を最小限に食い止め、影響を一刻も早く抑えて被災状態の長期化を防ぎ、素早く復興することだろう。つまり、そのための準備を怠らないことが、次善の策なのではないか。とはいえ、全ての災害を想定し、準備することは不可能だ。ではどうするか?『想定外への対応力を高める』ことに尽きるのではないだろうか。

 東日本大震災の被害も広い地域にわたり、且つ物流も情報も寸断された。一人の優れたリーダーがいたとしてもその一人の采配だけでは、全地域での緊急対応も、被害を最小限に食い止めることもできない。各地の現場で状況を的確にとらえて判断し、最少の努力で最大の効果をあげられる行動を見つけ出し、持続可能な仕組みを提案し、周りを巻き込んでやり遂げられる人が必ず必要だ。そんな人が各地に一人いればよいのではなく、全ての人がそれを理解し協力し合うことで、物事が進んでゆく。大きな災害を経験した地域の中でも、元々の地域の絆が強く、安心できる協力体制が既にあった地域では、復興の立ち上がりが早いことはよく知られている。
 また、被災地域だけでは問題は解決できないので、直接被害を受けた地域の外からの協力が不可欠となる。これも、元々あった信頼関係や協力的な絆がモノを言う。平時から日ごろから、協力し合うこと、情報を冷静に集めて分析し、自分の頭で考えて判断すること、それを周りの人と分け合って判断の精度を高めること、自分の住んでいる地域で起きていないことにも想像力を働かせて支えること、そして、これらを温かい雰囲気の中で実行することで人々を励まし、安心感を与え合えること、こうした力を日ごろから養い、強化し、発揮することで、想定外への対応力が高められると思う。
 そんなことは分かっている、と人は思うかもしれない。ただ、想定外は今この瞬間にも起こりうるということを痛感できないから、日々の他のことに取り紛れて準備の一歩を踏み出せないのかもしれない。

 だから、せめて311日くらいは、亡くなられた方を偲び、被災された方に思いを寄せ、彼らの無念の思いを受け止めて学び、私たちの日々の暮らしを変え、今も避難生活を続ける方々を支えるのはどうだろう。他者を支えるように見える行為はそのまま、結果として自分を救う力の獲得でもあり、更に周りの人々を支えることにもつながる。想定外への対応力が高ければ、正体不明の感染症への対応力も高まるはずだ。それは、一人ひとりが希望を持てる未来へとつながっている。

2019年3月11日月曜日

3.11に寄せて~8年を思う~


 8年。小学生は成人式を迎えた。1年でも十分長いが、8年経てばどんな変化があっても不思議はない。実際、傷ついた建物は再建・新築され、盛り土がされ、店が再開し、新たな仕事がうまれ、新たな命も生まれた。見えやすい部分の変化は大きく感じられる。
 震災発生直後から、被災状況は多様だった。8年経った今、復興状況は更に多様になっている。外形的な復興状況もさることながら心の復興状況は多様だ。地震と津波と原発事故と、それにまつわる全てのことに、命を、暮しを、思い出を奪われた事実を覆すことはできないが、その受け止め方と乗り越え方は、本当に人それぞれだ。どのやり方が望ましい、ということではない。ただひたすら、人は多様なのだ。多様な中に、共通の課題は山積している。8年経って、既に、復興という言葉を使うことすらためらわれるが、敢えて復興という言葉を使うならば、一人ひとりの状況が多様だからこそ、現地にいる一人ひとりが主人公となった復興が不可欠だ。複雑化した共通課題に取り組む一人ひとりを支えるというのは、これからもJENの東北支援の方針であり続ける。
 一人ひとりが自分の人生を十全に生きようとするその営みは、大災害に遭っても、それによって方向性が変わっても、本質は変わらない。その尊厳を支えていく行為に、この頃ローカリゼーション(Localization)という名前がついている。世界の人道支援の現場で、これまで以上に意識的に、現地の人々を主体として尊重する形で支援をしていこうという決意を表した言葉だと考えている。
 東北の人々が、外部の人々の支えとともに、これまで成し遂げてきたことは、世界の厳しい状況にある人々の希望だ。世界の人道現場のお手本でもある。

2018年1月5日金曜日

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。


 除夜の鐘が聞こえ始めると、一年間お世話になった人たちへの感謝で胸が一杯になります。今年初めてお世話になった方、昔から変わらずご恩をいただいている方々、様々な方に支えていただいて新年を迎えることができました。厳しい時も嬉しい時も、周囲の方々の温かさのお蔭で乗り越えられると感じます。


日本にも世界にも、今日が新年であることにも気づけない程、厳しい状況にある方々がおいでだと思います。そういう方々を支えるのが、私たちの仕事ですが、気象災害や紛争の被害者は増え続け、これまでのやり方では太刀打ちできない状況になっています。支援の世界にも、新しい考え方ややり方、イノベーションのニーズが高まっているのです。


一番変わらなければならないのは、どの様に成果を測るのか、という部分かも知れません。これほど多くの人々が支援を必要としている現状で、費用対効果が高いことは重要なことだと思います。同時に、費用対効果が高いことが重視され過ぎると、大切なものを見失うのではないかと懸念しています。


JENは以前から『与える支援ではなく支える支援』を目指してきました。だれも、誰かの人生を生きることはできません。一人ひとりが自分の人生を十全に生きることができることが前提です。一時的もしくは長期的にその状態が損なわれている時、本人たちがそれを回復しようとする努力を支えることができたら、あとはその人たちの人生です。人の数だけの多様な人生があるならば、人の数だけの多様な支援があってよい、それが非効率的だとされたとしても、人より効率を優先することで人が不幸になるならば、非効率的な支援の方がより良い支援と言えるかもしれません。ここで本当に求められているのは、人か効率かのどちらかではなく、両方を重視できる新たな取り組みではないでしょうか。


新しいものが生み出される時、必ず生みの苦しみがあるでしょう。その苦しみを恐れずに、前に進み、より良いものを生み出していけるJENでありたいと新年に祈念しています。

2018年1月5日

特定非営利活動法人ジェン
共同代表理事 木山啓子

2017年12月27日水曜日

Chabo!著者の皆さんとJEN職員の交流会


2017年の活動の進捗ご報告と、その後は交流会を開きました。
お忙しい中、駆け付けてくださった勝間さん、白河さん、酒井さんに感謝!




Chabo!って


2017年12月2日土曜日

第108回IOM総会のパネルディスカッションに出席しました


ビデオアーカイブをご覧ください(英語)。50分ごろから発言しました。

IOM駐日事務所のウエブサイトで紹介されました。

2017年10月25日水曜日

JEN東京本部の地元、神楽坂でお祭りがはじまりました

「神楽坂まち飛びフェスタ」にて、読まなくなった本の回収、ブック・マジックをやってます。このお祭りの期間だけ、1冊(点)から、受け付けています。





明日も同じ場所(毘沙門天前)にて、回収します。

通常のブック・マジックは、365日受け付けています。
お申込みは、こちらから。