昨年からのコロナ禍は、スペイン風邪以来100年に1度の危機だという。収入の道を絶たれて厳しい暮らしを送る人がいる中、我々の支援活動も十分といえるには程遠く、人を支えることの難しさを感じている。
支えたい相手は多様だ。東日本大震災、コロナ禍、シリア紛争、出来事に一つの名前を付けたとしても、被災状況もその後の回復具合も十人いれば十通り、百人いれば百通りある。その気持ちに至っては、一人の人の一日の中でも変化して捕まえることは決してできない。
一般的に、人は、心が元気な時、どんなことでもできる気がするのではないだろうか。活力に溢れ、多くのことをテキパキとこなし、誰にでも優しくできる。自然災害の様に、自力で防ぐことは不可能な場合でも、悲しい出来事に遭遇すれば、心のエネルギーは奪われる。心のエネルギーが奪われると、自分を責めたり、無力だと感じたりして、更に心のエネルギーは失われていく。本来やれるはずのことができなくなり、表面的にいくら元気そうにしていても、心がどこかをさまよい、集中できず、人と話すことが難しい時もある。
そんな日々を積み重ねて10年が過ぎた。あれから10年と言われる時、東日本大震災で被災された方々の胸に去来する思いはきっと、多様すぎて『これだ』と言えるものはないだろう。その多様な気持ちと多様な状況を抱えて、日々の暮らしがまた積み重ねられてゆく。であれば、本当に良い支援とは何かという問いの答えも一つではないと思う。