2010年9月2日木曜日

No24: 国際協力の現場から: 忘れない、という支援の形



 援助疲労という言葉を聞いたことがあるだろうか。1990年代半ば頃、世界中の人々の注目を集めるような悲惨な出来事が世界各地で頻発した際、援助する国々が、度重なる資金拠出に悲鳴を上げ、これ以上援助するのが難しいという事態が起きたことがある。その時に語られた『Donor fatigue』の直訳だ。新しい緊急事態だけでなく、中々終わらない援助活動に対する資金拠出も長期にわたり、負担であったことは事実だろう。それにしても、援助する方だって大変だ、そうそうあてにしてもらっては困る、そんな気分が伝わってくる言葉だった。援助が必要となるような悲惨な出来事が起きたことに対しての責任のかけらも感じられない言葉だと思ったものだった。

 一方、『中々終わらない』といわれる支援事業は、実は、驚くべき速度で進んでいる。従事するスタッフたちは、寝る間も惜しむようにして働いている。ただ、支援ニーズは余りに大きく、配布物も中々行き渡らない。まるで、スポイトで水を一滴ずつたらすことでドラム缶を一杯にしようとしているようなもどかしさだ。そして、配られた物資は、その質も量も元の暮らしには程遠い。紛争や災害の被災地では、全てが必要だ。JENの支援で簡易住居を建てるためのトタン板を受け取っても、暮らしを始めることは出来ず、食料も衣料も医療も教育も必要なのは言うまでもない。それ以上に、仕事を始めないことには何も始まらないが、経済が大打撃を被っている現地では仕事も少ない。その状態からの復興なのだから、長い時間と辛抱強い支援が必要となってくる。

 長くかかるからこそ、紛争や災害が各地で頻発すれば、同時並行で二ヶ所も三ヶ所も支援が必要となり、援助に疲労したという感覚を持つこともあるかもしれない。特に、厳しい現実に立ち向かって日々努力する被災者の素顔を知らなければ、尚更だ。しかし、『援助依存』が取りざたされる被災地でも、無償で配布に協力してくれる現地の方はいる。温かく、しなやかで力強い彼らは、ただ支援を待っているだけの弱い人々ではない。状況が余りに厳しすぎて、再び立ち上がるきっかけをつかめずにいるだけなのだ。

 厳しい状況の中で一筋の光をつかみ、もう一度自分の足ですっくと立ち上がったとき、彼らの顔が誇りと喜びで輝く。その輝きを支えるのは、忘れずに長く支える一人一人の気持ちと行動だ。

(写真:夏暑く、真冬になると極寒のテント教室で、学習を余議なくされている子どもたち。アフガニスタン、パルワン州チャリカ、ハザド・キール小学校)

(ニュースレターNo42より転載)

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