2011年2月7日月曜日

ヒーローはどこにいる?


先週、FさんがJENを卒業していった。


2年と8カ月、本部とスーダンで職員として活躍してくれた。以前は、JENのサポーターとして前の事務所で手伝ってくれたり、彼の留学前にはインターンとして働いてくれた。



一番苦しかったのは、絶対的に人手不足だった時だと、勤務終了間際の面談で彼は言った。もう、これ以上できない、次の事業は申請しないで、規模を縮小した方がいいと思ったそうだ。どうしてそうしなかったかを聞くと、帰還してきた難民の方々にとっても、JENにとっても、規模を縮小しない方がいいと思ったから、との答え。つまり彼は、その身を削って帰還民のために働いたとも言える。



補充要員の採用通知を出しても辞退者が続出して補充できなかったのは、まったくもって採用を担当する私たちの不徳の致すところだ。Fさんのような自己犠牲は、もちろん全く奨励しないし、これを本部の私たちが『美徳』と言ってしまったら、とんでもないことになる。むしろ彼が要望しなくても、規模縮小を含む、様々な取り組みができたはずだ。



ただ、私の不徳は一旦わきに置いて、その時点での彼の選択は、ヒーロー的だと言いたい。厳しい状況の中で、自分が大変になることを判っていて、敢えて彼が最優先したのは、帰還民の利益だった。これがヒーロー的でなくて何なのか。



そうか、ヒーロー(ヒロイン)とは自分よりも他者の利益を優先する人のことか。それなら、同僚たちは全員ヒーロー(ヒロイン)だ。僻地に住む被災者のためにひと足もふた足も延ばして、急峻な山肌を歩いて調整に赴いたり、高額な物資をつかまされそうになっても走り回ってこれを防ぎ少しでも多くの人をサポートする。事務仕事でも、急ぎでない自分の仕事を後回しにして、忙しい同僚に手を貸したりと、身の回りのヒーロー的な行為をあげれば本当にキリがない。


一人ひとりがヒーロー(ヒロイン)の気持ちを持ちながら、実際には、ヒーロー的な行為をしなくて済む(殺人的に忙しい状態にならない)そんな職場にしてゆくのが、私の務めなんだね、Fさん、ご苦労様でした。

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