極寒の被災当初のみでなく、春、夏、秋と、彼らは活躍を続けている。その原動力は厳しい現実に立ち向かう被災地の方々の笑顔だろう。二階の床まで浸水し、厚さ25cmの汚泥がまんべんなく入りこんだ自宅の片づけは、ボランティアなしではとても無理だった。被災された方々がありがとうと微笑む時、ボランティアの顔が輝く。誰かの役に立つことが、限りない喜びとなり、続けたいと思うのではないだろうか。
実はそこに、これからの支援のヒントがある。誰かの役に立つことで、人が生きる意味を再発見できるならば、それこそがまさに被災された方々が求めていることではないか。家族、財産、友人、仕事、思い出の場所、描いてきた未来、ありとあらゆるものを失った方々こそ、再び命を輝かせることを必要としている。
だから、これからのボランティアは被災された方々の世話になろう。
大震災の前まで東北から無意識にもらっていたものがたくさんある。あなたが作った牡蠣を、ワカメを、あなたが加工した漬け魚を、早く食べたいと言おう。民宿に泊まり、現地のごはんが美味しかったと伝えよう。現地で作れるもので、私たちが本当に必要としているもの、それを探し出して要望しよう。「してあげる」でなく「してもらう」それがこれからのボランティアであってほしい。
その為には現地に行き、私たちが日々必要としているもので被災地にあるものは何かを確認する必要がある。繁く足を運び、現地の方々と話し合い、よそに住む自分の問題の解決を要望しよう。彼らには、その力がある。そういう声に背中を押されて彼らは底力を発揮する。極限的な状態にある時、人は自分のためには頑張れないが、自分以外の誰かのためになら頑張れる。有難うといわれる気持良さを手渡して、被災された方々の底力を引き出す努力を我々ができるかどうかが試されている。
(写真:数ヶ月前までは面識がなかったご近所さんも、今は、同じ思いを共有する良き仲間)
(ニュースレターNo48より転載)
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