2012年8月3日金曜日

No.32 国際協力の現場から:復興は、小さな幸せの積み重ね



 このところの朝の日課は、ブルーベリーをヨーグルトに入れて食べることだ。このブルーベリーがめっぽう酸っぱい。なぜ好んで食べるかというと、猫の額ほどの実家の庭に実ったブルーベリーだからだ。最初の年は、5粒ほど口に入った。なるべく大きく育ち、木についたまま熟すのを待っていると、収穫直前に鳥に取られてしまう。だから、手に入ることすら貴重なのだという有難い話付きだった。去年は10粒ほど。鳥よけのネットをかけて守ったが、余り生らなかったらしい。三年目の今年は、日課として食べられるほどの大収穫で、酸っぱい味もまた格別、ということなのだ。


 大災害や紛争は、こうした小さな幸せも根こそぎ奪ってしまう。そんな現場では、「復興とは」「自立とは」とそれぞれに自問し続けながらの復興とその支援が続く。


 そもそも復興には元に戻すという意味がある。幸せな暮らしを送っていたなら、全てを元通りにしたいと本人が願うのは当然だ。支える我々もその思いをサポートしたいが、現実は厳しい。全てを元通りにはできないし、元に戻せないなら過去の幸せを礎にして新しい未来を築き上げるしかない。では、何を目指して、どこに向かってゆくのか。


 「平和とは明日の計画を立てられること」とは、紛争中の国で出会った10歳の少女が教えてくれたことだ。当たり前の様に今日の延長線上に明日があるような錯覚を持ちながら暮らす私たちは、その延長線が突然断ち切られた時に、途方に暮れて立ちすくむ。途切れてしまった所からは、360度全ての方向に線を引くことが可能だ。これが、新しい線を引くことを一層困難にさせる。『全てが可能だったら何がしたいですか?』線を断ち切られていない人にとって、こんな質問は夢を語る作業につながる。よるべないままに線を引こうとする人々は、この質問に失った全ての大きさに暗い気持ちを深めることもある。
 『元通りに』と言う時、被災された方々は、多くを求めてはいない。穏やかで小さな幸せに満たされた暮らしを取り戻したいだけだ。確かに明日が来ると思えること。その明日に向かって一歩一歩、歩を進める勇気を持てること。それを支える人と絆を結べること。そんなところに小さな幸せはある。その積み重ねの上に想像したこともない未来が広がっていると、一歩を踏み出したときには信じられなくても、小さな幸せの積み重ねの上に、未来は広がっている。元に戻れないなら、昔よりよくするしかない。誰も行ったことのないその未来へ、一歩を踏み出す勇気を支えることで、復興が進んでゆく。




(写真:アフガニスタンで実施をしている、学校の先生への衛生教育。
「次は、わたしが教える番だから」。
どの先生も真剣な眼差しです。)




(ニュースレターNo.50より転載)

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