JENは、シリア難民支援を開始した。まずは、ヨルダンでの支援となる。毎日1,000人もの人が避難してきているため、ザータリというキャンプの難民の方の数は既に6万を超え、7万人に迫る勢いだという。ヨルダンだけでなくトルコ、イラク、レバノンへと避難した方の数は既に20万人を超えたという。遠い国の戦闘の被災者は、日本で忙しい日々を過ごす我々の暮らしからは遠い存在かもしれない。ただ、東日本大震災の発災から約一週間後の、仙台市全体の避難所滞在者数が約7万人だったと聞いている。仙台市の全ての避難所を一か所に集めた様な場所が、ザータリキャンプなのだと想像を巡らせることもできるだろう。
もちろん、気候も生活環境も違うので、避難所での暮らしと難民キャンプでの暮らしが同じである筈もない。ただ、家財を失った悲しみや将来に対する不安、とりわけ家族を思う気持ちの中には、全ての人に共通する部分があるのではないだろうか。砂嵐の吹きすさぶザータリキャンプで、テント生活をする人々の胸中を最もよく理解できる人は、もしかしたら津波の被害を受けた方なのかもしれない。
では、極限的な経験をした人々を、その経験をしていない人が支えるにはどうしたらよいだろう。それにはまず、完全に理解することはあり得ないと肝に銘じることだ。似たような経験をした人同士でも感じ方や考え方は多様だ。従って、支援を仕事とする我々は『判った』と思った瞬間に、自分自身を疑った方がいい。訊き続け、確認し続けて、一人ひとりの暮らしの中にあぶり出される何かがあった時、支える内容が見えてくる。
その上で、自らの人生経験の全ての記憶の扉を開けて、類推してみる。判る訳はないけれど、想像力を駆使して判る努力をする。すると今度は、副次的な効果を生み出すやり方が見えてくる。個人の創造力が必要とされる場面だ。一人ひとりを支えることを基本に置き、同時に全体を俯瞰することで、副次的な効果を生む支援を計画できる。
どれ程大規模な支援も、具体的な行動の積み重ねだ。細心且つ大胆に一つずつ進めていけば、必ず問題が生じてくる。これを単純に解決するのではなく、より良い事業に結び付けるべく工夫を凝らして解決すると、元々副次的な効果がより多重的になる。結果、支援は大いに進み、『難民』『被災者』と呼ばれる人々の持っている力が引き出され、加速度的に支援が効果を上げてゆく。
とはいえ、一人の1日のほんの一部を支えるところから支援は始まる。そのJENの小さな一歩は、多くの個人や組織に支えられている。
(ニュースレターNo.51より転載)
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