...が、池谷に、いるらしい。
残念ながら私はまだお目にかかったことはない。
池谷集落には、小さな神社がある。
池谷集落には、小さな神社がある。
この神社の階段を二人(二匹)で、とことこ降りてくるのだそうだ。
村の衆に聞いてみると、「あぁ、よく見かける」とのこと。
ほ、ほんと?
余りにあっさりとみんなが認めるので、拍子抜けするくらいだ。
因みにたぬきは、一人の相手だけと一生添い遂げるのだそうで、相手を変えないのは、動物界ではたぬきくらいらしい。
そして、お母さんたぬきが食料を取りに行っている間は、
お父さんたぬきが子育てするのだとか。
お父さんたぬきが子育てするのだとか。
何とも、日本むかし話をほうふつとさせる景色の土地だと思っていたが、
実態も、そのままなんですねー。
その池谷も先週は、JENを支援して下さっている、
ある企業の新入社員研修を受け入れて、大にぎわいだった。
若者が大勢来てくれたので、
集落の瞬間平均年齢も一気に30~40歳くらい下がった計算だ(!)
彼らが集落を歩くだけで、活気が溢れる。
本人たちは気付いていないかもしれないが、
来てくれただけで、どれ程集落が元気付けられたかわからない。
汗水たらして働いた彼らは、作業の成果をほめられたいかもしれない。
勿論、それは集落にとって嬉しいことには違いない。
だが、何よりも喜ばれているのは、訪問それ自体なのだ。
農作業を指導するお父さんたちや、
交流会の食事を準備するお母さんたちの顔を見ればわかる。
交流会の食事を準備するお母さんたちの顔を見ればわかる。
訪問してもらい、元気が出れば、それこそが過疎に立ち向かう原動力になる。
一方、この集落を訪れて、彼らは何をつかんだのだろうか。
農作業の意味?命の大切さ?
それが何であっても構わない。
自分で感じることが一番大切だ。
その感じる力を強める、美味しいお米が池谷にはある。
感じたことは、お米の美味しさと共に、長く彼らの記憶に刻まれることだろう。
丹精込めてそのお米を育てる、温かい人びとが池谷集落にいる。
たぬきの夫婦も、住みやすい訳だわ、こりゃ。
P.S.構想日本のメールマガジンに拙文を載せて頂きました。http://www.kosonippon.org/mail/index.php
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