2013年3月11日月曜日

東日本大震災から二年 - ある日突然。

改めて、東日本大震災で亡くなられた方に心からのお悔やみと、被害を受けられた方へ、お見舞いを申し上げます。また、行方不明の方の行方が一日も早く判りますように、お祈り申し上げます。そして、厳しい状況の中で、努力を続けていらした皆様に、敬意をこめて、拙文を認めましたのでご笑覧下さると幸いです。

ある日突然、二度と自分の家に戻れなくなる。その上、家族も仕事も失う。どんな気持ちになるかは、体験した人でなければ判り得ない。その想像を絶する喪失感を押して、一日、また一日と復興に向けて人々は歩み続けてきた。3月11日が来れば、『あの日』から丸2年、731日目となる。

『復興はどれほど進んだのか』最近よく訊かれる質問だ。「みんな頑張ってます」としか言いようがない。『復興』を測る一定の尺度など存在しないからでもあるが、『復興が遅い』と断じることで人々の神々しくさえある努力を矮小化してしまう気がするからでもある。どんどん水揚げされる養殖カキを見たら『物事が進んだ』と感じるが、200軒あった水産加工関連会社の内、営業を再開した会社が20社に満たなければ『まだまだ』だと思うだろう。復興が何を目指しているかで、どれほど進んだかも変わってくる。但し、1社の再開がどれほどの人々のどれほどの努力によって成し遂げられたかを忘れることはできない。

復興は何を目指すのか、それを誰が決めるのか。

過疎が進行していた地域でインフラが破壊されれば、過疎が更に進むのは残念ながら避けられない。だからこそ復興は、『元通り』を目指させない。失った全てを元通りにすることが復興ではないし、残念ながらそれは不可能だ。だとすると『本当に望んでいるのはどんな暮らしか』という問いに、人々が心から答えられたとき、そこが復興の目的地となる。ただ、被災していなくてもこの問いにすぐに答えられる人がどれほどいるだろうか。被災して多くを失った人々がその問いに本心から答えられるようになるにも、時間がかかる。人々の気持ちを引き出すことには時間をかけたい。同時に、過疎が進めば復興の人手も減少してしまう。時間との戦いは続いている。
だから、『ゆっくり急ぐ』が合言葉となるのだろう。気持ちを引き出すためにも、引き出した気持ちの実現のためにも、少しでも多くの外部からのサポートがまだまだ必要だ。

一人のできることは、大きくないかもしれないが、一人の力が集まると大きなことができるということを、この2年間の『東日本支援』で多くの人が体験した筈だ。泥だしの様な単純なボランティア作業は少なくなったが、復興の人手も資金も、必要とされ続けている。被災された方々が、個々に違う個性をお持ちなのと同様、サポートする人たちも提供できるものが個々に違う。それを持ち寄れば、不可能と思われたことが可能になってゆくのだ。

3.11から2年。もし復興が進んでいないとしたら、あなたにできることは何ですか?



2013年3月11日
特定非営利活動法人ジェン
理事・事務局長 木山啓子