2009年4月20日月曜日

No.19 国際協力の現場から:底力を信じ触媒になる


 先祖代々譲り受けてきた土地を耕し、穏やかで幸せな生活を営んできた人々。紛争や災害でそれらの全てを失い、絶望を味わった彼らが支援の相手だ。過酷な日々をやっとの思いで生き延びたが、家族の安否さえわからない。食べ物は喉を通らず、目もうつろで、ただぼんやりと座っているだけだ。元気そうに振舞っていても、次の瞬間、目に涙を一杯に溜めていたりする。平和に慣れた日本から現地を訪れると、被災者への声のかけ方すらわからない。この仕事を続けるのが辛い、と思う瞬間だ。

 JENが行うのは、こうした人々を支える自立支援であるから、我々にも覚悟が必要だ。彼らの底力を信じきれるかどうかが試されるからだ。たとえか弱く見えたとしても、手を出し過ぎれば援助依存を生む。被災者の底力を信じて、やり過ぎない様に自制することは本当に辛い。
人は一人ひとり、自立する能力を持っている。紛争や災害などによってその能力が発揮できず、自立できない状況にある人が、再び(もしくは初めて)自立できる様に支えるのがJENの自立支援だ。だから、自立を教えるとか、命じるなどは、その対極にある。大切なのは、彼らの底力に対する我々の信頼が、事業を通して伝わっていくことだ。本人たちの自立したいという願いを信頼がそっと後押しすると、如実に効果があらわれるから不思議だ。

 事業が成功するかどうかは、支援を必要としている人々自身にかかっている。落胆の極みにいる彼らが活動に参加し、ほんの少しだけ状況が改善する。すると、参加者はわずかに自信を取り戻す。それによって、状況がもう少し変化する。更に自信を回復する。そのどの場面でも「化学変化」は彼らの中で起こっている。JENが「変化」を提供しているのではない。JENにできることは「化学変化」のきっかけを随所にちりばめた支援事業を計画し、人々に参加してもらうことだけなのだ。だから、JENは触媒だ。「化学変化」は、彼らの中にある。JENという触媒がなくとも起こる可能性は十分にある。それでも、変化が持続する効果的な触媒であるための辛さを、味わうことを嬉しいと思う。

(写真:スリランカ東部バティカロア県にて。言葉に隠された悩みを汲み、いち早いプロジェクトのスタートを目指す。写真中央は、JEN海外事業部次長・平野俊夫)

(ニュースレターNo37より転載)

2009年4月12日日曜日

水汲む人びと

井戸に人々が群がっている!

村人は正直なもので、不要なものには見向きもしないが、
本当に必要なものだと、頼まなくてもどんどん利用してくれる。


JENが掘らせてもらった井戸も、その一つらしい。

井戸管理委員会や、水質調査の話などはJENの『スーダン事業支援速報』に譲り、
ここでは、人々の水汲みの様子を書きたい。


テレケカのセント・ステファン校を訪れたときのこと、

元々の水汲み場に行く機会があった。

この水汲み場は、 よそで見た場所より水量が豊富だ。
それもそのはず、これはナイル川なのだ。


ひっきりなしに、女性や子どもが来ては、 水を汲み、帰ってゆく。
力のない子どもが頭に乗せるときは、
近くにいる大人が手伝うこともある。

石鹸で体を洗う人のすぐ横で、 水を汲んでいる老女が二人いた。

空のタンクを持って歩いてきた時も、

足を引きずっていて、
歩くのがやっとの様子だった。
水量が豊富だからタンク一杯に汲める。
結果、タンクは重くなる。

重いので自力では難しいと見えて、
互いに頭の上に乗せ合っている。


やっとの思いで頭に乗せ、

一歩一歩踏みしめる様に歩いて、
帰っていった。


水がなければ生きていけない。

そんな当たり前の事実が、
都会ボケした目の前に突きつけられる。

あれ程に足が悪くても、

水を汲みに来なくてはならない状況が、
彼女にはあるのだろう。

片道1時間が30分になっただけでも、 少しは楽になるはずだ。
そして、片道2時間もかけなければ、

水場にたどり着けない地域に住む人々が、
ここ
南部スーダンにはまだまだいるのだ。

2009年4月11日土曜日

感動の変化

昨日、JENの事業地であるラニャ郡から戻ってきた。
ジュバからは車で4時間、南に走った場所にある。

雨の降り始め、いつ雨期が始まるかというこの時期

舗装されていない道路の状態は悪化の一途を辿る。


5ヶ月前と余りに変わっていて、驚いたこと。
それはJENのスタッフだ。


顔ぶれが変わっているのではない。
顔つきが違うのだ。

5ヶ月前も、特に文句はなかった。
皆、一生懸命働いてくれていたし、

村人たちにも慕われている様子だった。

だが、今回は全然違う。

活き活きと働いているのだ。

自信に満ちて、堂々としている。

まるで「俺についてこい」と言わんばかりだ。


特にプロジェクト・オフィサーとして働く現地スタッフのMは見違えた。
日本から赴任しているプログラム・オフィサーのAが次に何をしたいかというのも、

あうんの呼吸で判るようだ。


きっと働く面白さを感じてくれているのだろう。

Aも嬉しそうにMの動きを見ている。


地域の人たちと一緒に事業を行うといっても、言うは易し、である。

村人が集まってくれない、

主体的に動いてくれない、

井戸が壊れても関心を持っていない、

集まっても前向きになれない...


ないないづくしの過程だっただろう。
きっと途中で、失敗に終わるかもという疑念や不安もよぎったことだろう。


ひと回り大きく感じられるMに、楽しそうだね、と言うと、
嬉しそうに「この仕事が大好きだ」と答えてくれた。


なぜ?と聞くと、

「最初難しかったけど、今は、どうすれば良いか判る」という。
Aが自分を信じて任せてくれるのも嬉しいという。


困難を乗り越えてしか、たどり着けない場所がある。
力を合わせて困難を乗り越えたAとMの間にある
しっかりとした絆が見えた気がした。


写真:ラニャ郡の小学校でこの日に行った衛生教育の様子。
日常の暮らしにおける行動をカードにして、

衛生的に適切かどうかをYESとNOでホワイトボードに分けて貼りながら、
ゲーム感覚で学ぶ。


2009年4月7日火曜日

南部スーダン、ジュバに来ています。

5ヶ月ぶりでジュバに戻ってきた。
これほどすぐに同じ現場を再訪するのは、事務局長になってからは、初めてだ。
知っている顔がたくさん迎えてくれて、先方も覚えていてくれて、素直に嬉しい。
この感覚は、中々得がたいものだ。

簡単には行けない国に仲間がいる。
それだけでもかなり嬉しい。
その人たちは、たった数年前までは縁もゆかりもないところにいた。
今はこうして、家族のように互いに支え合っている。(主に支えるのは彼らで、こちらは専ら支えられる方なのだが)
これはもう、極端に嬉しい。
その仲間たちが、きびきびと動いて働く姿を見られるのは、更に嬉しい。

こんなに喜びながら働ける仕事に就いていること自体が、
しみじみと有難い。


5ヶ月経って。
事務所の様子は、大分変化していた。

万年資金不足のJENでは、働く環境整備一つを取っても、やりたいことを常にやれる訳ではない。
シャワー室の壁にも、タイルを貼る予定はなかった。
なくて困らないものは、常に後回しになる。

そんな時、部屋の改修を依頼していた業者さんがミスをした。
お詫びの代わりにシャワー室の壁にタイルを貼ってもらったとのこと。
勿論、無料だ。
Aさん、その交渉力、流石です!

そして、目に付いたのは塀。
以前は竹の棒をメッシュに差して、塀の代わりにしていたが、
目隠しくらいにしかなっていなかった。

元々、塀とか壁とかには、余り良いイメージがない。
『分け隔て』するもの全般が嫌いなのだろう。

ここでも外の世界と事務所内を遮断する様で、
建てないで済むならそれに越したことはない。
だが治安の不安定なこの地域で安全に事業を実施し、スタッフが暮らしてゆくには、
この塀は必要不可欠なのだ。

聞けば皆は、「やっとホッとできた」とのこと。
Eさん、今まで苦労をかけたね。
忙しい事業実施の合間に、事務所整備も進めてくれて、本当に有難う!

そして、事務所兼住居を守ってくれる塀に向かって、
よろしく頼むね、と声を掛けた。