2012年12月3日月曜日

【テレビ東京にて放映】 JENのシリア難民緊急支援





ヨルダンで実施中のシリア難民緊急支援について、ジェンの活動が紹介されます。
これが、国際人道支援の現場です。ぜひ、ご覧ください。

放送局:テレビ東京
放映日:2013年1月3日 18:30~20:48
番組名: 新春スペシャル「池上彰の2013世界を見に行く~イスラムと中国」


2012年10月18日木曜日

Chabo! 1億円ご寄付達成!記念パーティにて

ご多忙の中、著者・推進員の皆様には、お集まりいただきまして、ありがとうございました。
重ねて、深く感謝申し上げます。

2012年10月9日火曜日

No.33 国際協力の現場から:一歩の大きさ



JENは、シリア難民支援を開始した。まずは、ヨルダンでの支援となる。毎日1,000人もの人が避難してきているため、ザータリというキャンプの難民の方の数は既に6万を超え、7万人に迫る勢いだという。ヨルダンだけでなくトルコ、イラク、レバノンへと避難した方の数は既に20万人を超えたという。遠い国の戦闘の被災者は、日本で忙しい日々を過ごす我々の暮らしからは遠い存在かもしれない。ただ、東日本大震災の発災から約一週間後の、仙台市全体の避難所滞在者数が約7万人だったと聞いている。仙台市の全ての避難所を一か所に集めた様な場所が、ザータリキャンプなのだと想像を巡らせることもできるだろう。

もちろん、気候も生活環境も違うので、避難所での暮らしと難民キャンプでの暮らしが同じである筈もない。ただ、家財を失った悲しみや将来に対する不安、とりわけ家族を思う気持ちの中には、全ての人に共通する部分があるのではないだろうか。砂嵐の吹きすさぶザータリキャンプで、テント生活をする人々の胸中を最もよく理解できる人は、もしかしたら津波の被害を受けた方なのかもしれない。

では、極限的な経験をした人々を、その経験をしていない人が支えるにはどうしたらよいだろう。それにはまず、完全に理解することはあり得ないと肝に銘じることだ。似たような経験をした人同士でも感じ方や考え方は多様だ。従って、支援を仕事とする我々は『判った』と思った瞬間に、自分自身を疑った方がいい。訊き続け、確認し続けて、一人ひとりの暮らしの中にあぶり出される何かがあった時、支える内容が見えてくる。

その上で、自らの人生経験の全ての記憶の扉を開けて、類推してみる。判る訳はないけれど、想像力を駆使して判る努力をする。すると今度は、副次的な効果を生み出すやり方が見えてくる。個人の創造力が必要とされる場面だ。一人ひとりを支えることを基本に置き、同時に全体を俯瞰することで、副次的な効果を生む支援を計画できる。

どれ程大規模な支援も、具体的な行動の積み重ねだ。細心且つ大胆に一つずつ進めていけば、必ず問題が生じてくる。これを単純に解決するのではなく、より良い事業に結び付けるべく工夫を凝らして解決すると、元々副次的な効果がより多重的になる。結果、支援は大いに進み、『難民』『被災者』と呼ばれる人々の持っている力が引き出され、加速度的に支援が効果を上げてゆく。
とはいえ、一人の1日のほんの一部を支えるところから支援は始まる。そのJENの小さな一歩は、多くの個人や組織に支えられている。 


(ニュースレターNo.51より転載)

2012年9月13日木曜日

シリア難民へ、緊急支援を始めました。


ここは、ヨルダン北部のザ―タリ難民キャンプです。避難生活が長引く中、衛生環境の改善支援を始めます。まずは、子どもたちを対象にした「衛生教育」です。

緊急募金を受け付けています。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。

ご寄付は、こちらまで

2012年8月30日木曜日

雑誌『VERY』の読者イベント「VERYママフェス」にて、トークショーにお誘いいただきました。


ご来場くださった読者の皆様、お声をかけてくださった編集部の皆様、どうもありがとうございました。

2012年8月3日金曜日

No.32 国際協力の現場から:復興は、小さな幸せの積み重ね



 このところの朝の日課は、ブルーベリーをヨーグルトに入れて食べることだ。このブルーベリーがめっぽう酸っぱい。なぜ好んで食べるかというと、猫の額ほどの実家の庭に実ったブルーベリーだからだ。最初の年は、5粒ほど口に入った。なるべく大きく育ち、木についたまま熟すのを待っていると、収穫直前に鳥に取られてしまう。だから、手に入ることすら貴重なのだという有難い話付きだった。去年は10粒ほど。鳥よけのネットをかけて守ったが、余り生らなかったらしい。三年目の今年は、日課として食べられるほどの大収穫で、酸っぱい味もまた格別、ということなのだ。


 大災害や紛争は、こうした小さな幸せも根こそぎ奪ってしまう。そんな現場では、「復興とは」「自立とは」とそれぞれに自問し続けながらの復興とその支援が続く。


 そもそも復興には元に戻すという意味がある。幸せな暮らしを送っていたなら、全てを元通りにしたいと本人が願うのは当然だ。支える我々もその思いをサポートしたいが、現実は厳しい。全てを元通りにはできないし、元に戻せないなら過去の幸せを礎にして新しい未来を築き上げるしかない。では、何を目指して、どこに向かってゆくのか。


 「平和とは明日の計画を立てられること」とは、紛争中の国で出会った10歳の少女が教えてくれたことだ。当たり前の様に今日の延長線上に明日があるような錯覚を持ちながら暮らす私たちは、その延長線が突然断ち切られた時に、途方に暮れて立ちすくむ。途切れてしまった所からは、360度全ての方向に線を引くことが可能だ。これが、新しい線を引くことを一層困難にさせる。『全てが可能だったら何がしたいですか?』線を断ち切られていない人にとって、こんな質問は夢を語る作業につながる。よるべないままに線を引こうとする人々は、この質問に失った全ての大きさに暗い気持ちを深めることもある。
 『元通りに』と言う時、被災された方々は、多くを求めてはいない。穏やかで小さな幸せに満たされた暮らしを取り戻したいだけだ。確かに明日が来ると思えること。その明日に向かって一歩一歩、歩を進める勇気を持てること。それを支える人と絆を結べること。そんなところに小さな幸せはある。その積み重ねの上に想像したこともない未来が広がっていると、一歩を踏み出したときには信じられなくても、小さな幸せの積み重ねの上に、未来は広がっている。元に戻れないなら、昔よりよくするしかない。誰も行ったことのないその未来へ、一歩を踏み出す勇気を支えることで、復興が進んでゆく。




(写真:アフガニスタンで実施をしている、学校の先生への衛生教育。
「次は、わたしが教える番だから」。
どの先生も真剣な眼差しです。)




(ニュースレターNo.50より転載)

2012年6月25日月曜日

支援者の集いが、無事に終わりました。


ご来場いただきました皆さま、遠く不便な会場にもかかわらず、お越しくださいまして、ありがとうございました。

この日は、亀山石巻市長がおいでになり、支援者お一人おひとりと談笑されました。

残念ながらお会いできなかった多くの支援者の皆さまへ、感謝をこめて。

今後とも、JENの活動へ、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくおねがいいたします。

2012年5月30日水曜日

インターン2名が卒業しました


ウクライナ出身の大学生、そして、企業勤務を経てマイクロクレジットを研究中の研究生。二人が同時に卒業しました。 

JENでは、インターンを募集しています。くわしくは、こちら

2012年5月2日水曜日

No.31国際協力の現場から:一歩の大きさ




 JENの東北支援は石巻市を中心に実施している。たった一つの市なので、とても小さな地域に限定しているように思われるかもしれないが、どうしてこれが、宮城県第二の都市。だが、本当に驚くのは、その多様さだ。海、丘、山林、平地と多様な地形に、多様な産業が展開し、被災状況も多様だ。その一部に牡鹿半島がある。石巻市全体の人口からみれば、約30分の1であるのだが、牡鹿半島にある33の浜は、それぞれに個性豊かな浜となっている。

 状況が多様であれば、復興も多様にならざるを得ない。各浜にあるコミュニティの意思を尊重し、そこにある資源を活かして復興の計画を立てていかなければ、復興が進んでも人々は幸せと感じられないだろう。同時に、現実的に考えれば、石巻の30分の1でさえ33通りの取り組みが必要だと仮定したら、東北全体では、気の遠くなる様な数の取り組みをしなければならなくなる。そんなことが本当に可能なのか、と思いそうな時、アメリカの大学生たちから声をかけられた。

 アメリカに留学していた一人の学生が、ある日、東日本大震災の被災者支援をしたいと考えた。イベントをしようという彼の話に賛同した友人が、これを企画書にまとめてニューヨークに遊びに行った。同じ頃、別の大学でも一人の留学生が、東日本支援のためにTシャツを販売した利益を寄付することを思いつく。彼もこれを企画書にまとめて、たまたまニューヨークに遊びに行った。この二人が友人を介してニューヨークで知り合い、企画書の交換をしたところからイベントが本格化した。結局、12の大学を巻き込んでTシャツを販売し、5つの大学で講演会を実施する、という大イベントに発展したのだという。この講演者の一人として招かれたので、行かせてもらって驚いた。どの大学でも推進する学生が皆とても熱心で、聴衆も真剣そのものだったからだ。4泊7日で5か所で講演するという強行軍だったが、皆さんの熱さにずっと感動し続けていた。彼らは、我々が帰国してからもTシャツを販売し続け、寄付額を増大させ続けている。

 初めは一人のアイデアが、周りをどんどん巻き込んで新しいことを起こしていく。これは、支援の現場でも同じだ。千里の道も一歩から。一人の力は小さいけれど、みんなの力はとてつもなく大きい。どんなことだって起こせるだろう。ただ、みんなの力は、最初はどこにも存在しない。一人の力がみんなの力を作っていくのだ。自分が最初の一人であるかどうかも、問題ではない。同じ目的を持った人たちとは、必ず出会えるからだ。一歩を踏み出し、語り、巻き込む。その繰り返しが大きなうねりとなり、世界を変えていく。一人が一歩を踏み出した時、既に世界は少しだけ変わっている。



(写真:池谷・入山集落の村人たちが訪れた幾つかのコミュニティ。
温かい湯気とおいしそうなご飯のにおいが立ち込める中、
人びとは、おにぎり片手に石巻の復興について熱く語り合いました。)

(ニュースレターNo.49より転載)

2012年3月11日日曜日

東日本大震災から1年 -3.11に寄せて

東日本大震災から一年目の今日、改めて心より亡くなられた方とそのご家族やご友人に哀悼の意を表します。そして、いまだ行方の判らない方々とそのご家族やご友人、被災されて精神的にも経済的にも厳しい状態で生活を続けていらっしゃる多くの皆様に、心からのお見舞いを申し上げます。

そして、この一年間、ジェンを通して被災された方々をご支援下さった多くの方々に、心より御礼を申し上げます。発災直後から、物資やご寄付、人的サポートなど、本当に多くの方から多大なるご支援をいただき、被災された方々の支援を続けることができました。ジェンは、被災された方々が安心して暮らせる日々を取り戻せるよう支えることを目指しているので、炊き出し、物資配布、泥だしなどの緊急支援から始まり、仮設住宅などへの生活再建支援、仮設商店街の建設、などを経て、現在は、子どもの支援、心のケアなどとともに生業の回復や絆の結び直しのサポートを中心に活動しています。国内外の一般個人、団体、法人の皆さまから東日本大震災に対してお預かりしたご寄付は、総額で約19億円に達し、うち約13億円を、これらのプロジェクトを通じて活用させていただくことができました。

ジェンも支援活動を行う宮城県石巻市は、風光明媚な牡鹿半島を擁する漁業や加工業が盛んな街です。一方、日本の地方都市の例にもれず、たくさんの社会的な課題を抱えてきました。また、2005年の1市6町の合併により、都市型と漁業や農業を営む郊外型のライフスタイルが広い地域にわたって共存してきました。あまりにも広範な地域を襲った今回の震災支援のニーズは、こうした多様なライフスタイルやもともとあった社会的課題とあいまって、ますます多岐にわたり、複雑なものになってきています。被災状況も、地域間でも個人間でも異なりますし、何とか復興への一歩を踏み出した方々によって、希望の光が見えてきた地域もある一方で、土地が未だ水沈したままの地域が存在します。震災直後には見えにくかったこうした違いが、少しずつ顕著になってきていて、問題を複雑にしています。全ての地域に適用できる解決方法は、初めから存在しないと言えるでしょう。

だからこそ、地域ごと、コミュニティごとに復興していくことが重要なのです。言うまでもなく、コミュニティは個人が形成しています。あまりにも大きなものを失った方々の中には、自立のためのスタートラインに立つどころか、未だ明日を描くことすら難しい方もいるのです。そんな方々も、必ず再び立ち上がれる日が来ます。そのためには、一人ぼっちではないと思えることがとても大切です。その意味でも、ジェンを通して被災された皆さんを支えて来て下さった方々に、改めてお礼を申し上げるとともに、忘れないで支え続けて下さいますよう、お願いいたします。

今回、この大震災の支援を支えてくださった方々は日本に住む方々だけではありませんでした。発災直後から、昼夜にわたってジェンの東京本部の電話を鳴らし続け、支援のお申し出をくださった方々の中には、本当に多くの海外の方々がいらっしゃいました。その中には、ジェンがこれまでに支援を続けてきた決して裕福ではない国々や事業地の人びとも含まれていました。そして、現在、ジェンが東北にお届けする支援は、それらの事業地で培った自立支援の経験に支えられています。いずれそのご恩をふたたびお返しすることができるよう、これからも、現地の方々とともに、復興とその先にある未来を目指す支援に尽力する所存です。

今後も東日本大震災からの復興と世界6カ国で人びとの生きる力を支えるために、皆さまからのサポートを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
2012311
特定非営利活動法人ジェン
理事・事務局長 木山啓子

2012年1月31日火曜日

No.30国際協力の現場から:ボランティアは今、何をすればいい?

 今回の東日本大震災では、日本人の助け合いの精神が外国から大いに評価された。日本中から被災地に物資が届き、ボランティアも駆け付けた。我々NGOは、緊急事態があれば出動するのがいわば仕事なので、駆けつけて当然だが、まだ雪のちらつく中、テントと食糧だけでなく飲み水まで持参して、長期間無償奉仕を続けるボランティア達の献身は、あっぱれというほかない。共に現地で支援に従事する我々でさえ、彼らの姿に勇気づけられたのだから、家を流され、家族の行方を案じている人々にとっては、どれほどの励ましになったことだろう。




 極寒の被災当初のみでなく、春、夏、秋と、彼らは活躍を続けている。その原動力は厳しい現実に立ち向かう被災地の方々の笑顔だろう。二階の床まで浸水し、厚さ25cmの汚泥がまんべんなく入りこんだ自宅の片づけは、ボランティアなしではとても無理だった。被災された方々がありがとうと微笑む時、ボランティアの顔が輝く。誰かの役に立つことが、限りない喜びとなり、続けたいと思うのではないだろうか。



 実はそこに、これからの支援のヒントがある。誰かの役に立つことで、人が生きる意味を再発見できるならば、それこそがまさに被災された方々が求めていることではないか。家族、財産、友人、仕事、思い出の場所、描いてきた未来、ありとあらゆるものを失った方々こそ、再び命を輝かせることを必要としている。



 だから、これからのボランティアは被災された方々の世話になろう。



 大震災の前まで東北から無意識にもらっていたものがたくさんある。あなたが作った牡蠣を、ワカメを、あなたが加工した漬け魚を、早く食べたいと言おう。民宿に泊まり、現地のごはんが美味しかったと伝えよう。現地で作れるもので、私たちが本当に必要としているもの、それを探し出して要望しよう。「してあげる」でなく「してもらう」それがこれからのボランティアであってほしい。
 その為には現地に行き、私たちが日々必要としているもので被災地にあるものは何かを確認する必要がある。繁く足を運び、現地の方々と話し合い、よそに住む自分の問題の解決を要望しよう。彼らには、その力がある。そういう声に背中を押されて彼らは底力を発揮する。極限的な状態にある時、人は自分のためには頑張れないが、自分以外の誰かのためになら頑張れる。有難うといわれる気持良さを手渡して、被災された方々の底力を引き出す努力を我々ができるかどうかが試されている。




(写真:数ヶ月前までは面識がなかったご近所さんも、今は、同じ思いを共有する良き仲間)



(ニュースレターNo48より転載)

2012年1月30日月曜日

What Is JEN? - CHANGE ワークショップにて


第一期生は、イラク、南スーダン、アフガニスタン、パキスタン、スリランカ、そして日本から集まりました。「JENって?」からスタート。