2009年10月20日火曜日

No.21 国際協力の現場から:効果は続く



 8月下旬、スリランカに出張して感動したことが二つある。

 一つは、現地スタッフの活躍ぶり、もう一つは完了した事業の効果が持続していたことだ。
『現地主導』も『持続可能な支援』も、昨今は当たり前のこと。良い支援の必要条件ではあるが、実現するのは簡単ではない。大いに成功している好事例を確認できて嬉しかった。

 2年前に東部での農業支援を始めた際には、土地の人びとが
「砂地なのでうまく行かない」
と口々に言ったそうだ。それを、南部での経験を経て東部へ転勤したスタッフが、説得してくれた。
「南部も同じ砂地だが、成功した」
しかも彼は、東部のJENスタッフに丁寧に説明し、スタッフ全員が心から成功を信じるようになった。成功を信じているスタッフと触れ合う内に、帰還した避難民も、努力が無駄にならないことを納得して農業を始めたという。始めてみればぐんぐん効果が上がる。私が会った帰還民は、みな農業の拡大計画を口々に語った。

 その後だったこともあり、完了から3年も経つ南部の事業を視察に行くのは期待と不安が交錯するものだった。何と言っても農業だ。気候の影響を受けて失敗していても不思議ない。

 行ってみて驚いた。どの家でも、バナナやヤシやその他の野菜が所狭しと生い茂っている。その成長ぶりからも、下草のなさからも、手入れのよさが良く判る。ある女性は、ぶどうの苗を庭いっぱいに育てて、ビジネスを始めていた。『絵に描いたような』自立をみんな果たしていた。

 世界各地で災害が多発している。支援はいつも行き届かず、支援団体全体の力不足を感じざるを得ない。問題を一つずつ解決してゆくしかないことは周知だが、今この瞬間にも厳しい状況にある人々の苦悩を思うとき、もっと早く、もっと多くの支援を提供したいと単純に思う。

 ただ、ことが起こってからの対処には限界がある。先進国でも、発展途上国でも、いかに事前準備をしていたかで、被災状況が大いに違う。個々人の自立と、コミュニティの自立は最善の再発防止策になっている。地道な自立支援が、やはり答えなのだと思う。

(写真:スリランカ北部ワウニアのJEN現地事務所前で、地域の人々と語らうスタッフのクラシリさん)

(ニュースレターNo39より転載)

2009年10月8日木曜日

今日からNHK教育テレビの4回シリーズ始まります!

JENと私が、本日からNHK教育テレビに取り上げられます。
10月の毎週木曜日、8、15、22、29日の4回シリーズです。
夜22:25~22:50の『知る楽 仕事学のすすめ』という番組です。

是非、ご覧下さい!

実は私も、番組をまだ拝見していないのです。
ドキドキですが、サイは投げられたので、じたばたしないことにしました。
ご覧になった方は、是非、ご感想をお寄せ下さい。
このブログ宛てでも、NHKのサイト宛でも結構です。
よろしくお願い致します。

『知る楽 仕事学のすすめ』は日経BPのサイトとコラボされています。
番組の内容をまとめて出して下さっているそうです。http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091005/186387/
こちらもご覧下さい!

以上、お知らせでした!

スマトラ沖地震の緊急支援開始のお知らせ

今日は、告知です。


●スマトラ沖地震の緊急支援、開始しました!

既に、JENのスタッフ3名が現地に入り、活動しています。

詳しくは、こちらをご覧下さい。

http://jenhp.cocolog-nifty.com/emergency/2009/10/post-86e0.html



緊急募金も受け付けています。

http://www.jen-npo.org/contribute/form01_1.php

よろしくお願い致します。

2009年9月9日水曜日

スリランカに行ってきました♪

また、1ヶ月も更新をサボり反省!

この間、スリランカに行っておりました。(←言い訳)


Chabo!の著者の勝間さん(http://www.jen-npo.org/chabo/member/01.html)と


スリランカを訪問して下さった。

私自身にとっても、5年ぶりで、期待と不安でいっぱいだった。
津波後の5年間、スリランカも様々なことを乗り越えてきた。


各地で武力衝突が起こっては収まり、

今年5月には約26年に及ぶ内戦が停戦となったが、

その度に、犠牲となる人がいて、国内避難民が発生した。

復興は進んだのか、止っているのか、人びとに笑顔は戻ったのか。


勝間さんに一日遅れて高野さんと一緒に出発したのだが、

機体故障でバンコク行きの飛行機が台北に不時着!


空港にはたくさんの消防車が待ち構えるという波乱の幕開けとなった。

(写真は、ことなきをえて、帰ってゆく消防車)




その台北空港で、一足先に出発したはずの

勝間さんに出会った?!というのは、書店での話。


勝間さんの書籍が何冊も並んでいた!!


なんでも勝間さんは『女大前研一』として

台湾で人気の作家なんだそう。






やっとコロンボの宿舎に到着したのは、午前3時半、

仮眠して午前6時には勝間さんと合流、

フィールドに向けて出発するという強行軍だった。

(高野さん、よく耐えて下さいました。)

渋滞に巻き込まれない様に、全速力でコロンボの郊外に抜け出して、

朝食にありついたのが午前8時。










おいしそうな焼きたてパンは、みんなカレーパン。
たまごカレーパンに、ポテトカレーパンに、オニオンカレーパンなどなど。

カレーパンでないのは、

大きなチリを丸ごと巻いたチリパンか、サンドイッチのみ。

サンドイッチも、ウィンナーロールも、うっすらチリの味がして、

火のついた様なお口に、甘~いミルクティーが美味しかった♪

果敢にチリパンに挑戦した高野さんも、










約2割を残してあえなくギブアップ。










それでも盛んに、美味しかったとおっしゃっていました。






暫くの間、このブログでスリランカ出張の報告を書こうと思います。



2009年7月21日火曜日

仲のいい夫婦のたぬき




...が、池谷に、いるらしい。

残念ながら私はまだお目にかかったことはない。
池谷集落には、小さな神社がある。


この神社の階段を二人(二匹)で、とことこ降りてくるのだそうだ。



村の衆に聞いてみると、「あぁ、よく見かける」とのこと。


ほ、ほんと?

余りにあっさりとみんなが認めるので、拍子抜けするくらいだ。

因みにたぬきは、一人の相手だけと一生添い遂げるのだそうで、相手を変えないのは、動物界ではたぬきくらいらしい。


そして、お母さんたぬきが食料を取りに行っている間は、
お父さんたぬきが子育てするのだとか。

何とも、日本むかし話をほうふつとさせる景色の土地だと思っていたが、
実態も、そのままなんですねー。

その池谷も先週は、JENを支援して下さっている、
ある企業の新入社員研修を受け入れて、大にぎわいだった。

若者が大勢来てくれたので、
集落の瞬間平均年齢も一気に30~40歳くらい下がった計算だ(!)

彼らが集落を歩くだけで、活気が溢れる。
本人たちは気付いていないかもしれないが、
来てくれただけで、どれ程集落が元気付けられたかわからない。


汗水たらして働いた彼らは、作業の成果をほめられたいかもしれない。
勿論、それは集落にとって嬉しいことには違いない。
だが、何よりも喜ばれているのは、訪問それ自体なのだ。
農作業を指導するお父さんたちや、
交流会の食事を準備するお母さんたちの顔を見ればわかる。

訪問してもらい、元気が出れば、それこそが過疎に立ち向かう原動力になる。

一方、この集落を訪れて、彼らは何をつかんだのだろうか。

農作業の意味?命の大切さ?

それが何であっても構わない。
自分で感じることが一番大切だ。

その感じる力を強める、美味しいお米が池谷にはある。
感じたことは、お米の美味しさと共に、長く彼らの記憶に刻まれることだろう。

丹精込めてそのお米を育てる、温かい人びとが池谷集落にいる。

たぬきの夫婦も、住みやすい訳だわ、こりゃ。


P.S.構想日本のメールマガジンに拙文を載せて頂きました。http://www.kosonippon.org/mail/index.php

2009年7月20日月曜日

No.20 国際協力の現場から:触媒のもたらす効果


 支援には、長い時間がかかる。

 JENのリーフレットにも『10年かかる』とあるが、勿論これは比喩で、実際には更に長い年月がかかる。先だってのイタリア、ラクイラでのG8サミットでも、「まだテントに人が住んでいるのか」と驚いた人が多かったと思う。G8主催国でさえこの状況だ。世界の状況は言うに及ばず、支援を求める人の数は余りにも多く、支援は余りにも遅く、足りない。

 自立支援は、単なる物資の提供や建物の建設などよりも更に時間がかかる。当然、支援の効果が上がるスピードが気になる。急がば回れだと判っていても、焦りがないはずがない。

 その焦りを鎮めてくれるのが、現実に出会う自立の効果だ。スリランカの漁協の組合員が「いかに多くの援助をもらうか」ではなく「いかに地元全体によい影響を与えることができるか」を話し合うようになったと聞けば、自立支援の計り知れない効果を実感できる。

 支援の受け手としても、自立支援はもどかしいに違いない。本当は、自分たちが望む場所全てに、さっさと井戸を掘って欲しいと思っているのかもしれない。それでも、スーダンの井戸管理委員会の委員たちはつかんでいるはずだ。井戸の分解と組み立てを実演して見せてくれた時の彼らの顔に、それはしっかりと表れていた。

「この井戸が壊れても、私たちは直せる」。

 つまり、井戸が枯れない限り、この地域の水は自分たちが確保する、という自信だ。自信に満ちた彼らは、次のステップに進むことが出来る。彼らは、近隣の壊れていた井戸を7本も修理して使えるようにしたという。この時に彼らが味わった誇らしい気持ちが、彼らを更に先に進ませることだろう。

 人は、一つのことで自信を持てると、新たなことに挑戦できるのではないか。身の回りの課題に気付き、それを解決できると信じ、自分と仲間の力で一つ一つそれを変えてゆく。成果が上がれば更に前進できる。あとは支援を受けなくても自立の輪が広がってゆく。自信と誇りを取り戻す。自立支援の大切な効果のひとつだ。

(写真:ミャンマー:JENスタッフを出迎えてくれたテーチャウ村の村びと。手に持っている小さな旗は、トイレットペーパーで作ったもの)

(ニュースレターNo.38より転載)

2009年7月13日月曜日

2009年7月9日木曜日

Globeに載せていただきました

このブログ、随分長い間サボっていた自覚はあったが、
3ヶ月近く書いていなかったと気付き、大反省中だ。

この間、何人もの方から「ブログ、読んでますよ」という
『励まし』のお言葉を頂いた。今日から再開しますので、
改めて、お付き合いよろしくお願いいたします!

国際協力に関して、ずっと悩み続けていることがある。
過去3ヶ月は、これについて特に真剣に考えている。(言い訳?!)

それに関しては、いずれこのブログで熱く語るとして、
今日は、7月6日に取り上げて頂いたGlobeの反響について。
(見逃した方はこちら↓
http://globe.asahi.com/breakthrough/090706/01_01.html

まず、反響の大きさに驚いた。
掲載して頂いた7月6日月曜日、火曜日には、
JENのホームページへのアクセス数が普段の倍くらいになった!

電話が鳴りっぱなしとか、ウェブがパンクするという程ではないが、
「反響がある」という手応えがある。

今更だが、新聞の力はすごい。
JENの活動に興味を持って下さった方が
こんなにいるということが単純に嬉しい。

それ以上に嬉しいのが、実際にメールや電話を下さる方の存在だ。
『寄付をしたい』『自分の経験を提供したい』『講演に呼びたい』など、
様々なお申し出やお問い合わせを頂いて、とても勇気付けられた。

元気がなかった訳ではないけれど、元気百倍!
声をかける、発信する、連絡を取る、気持ちを伝える、
その大切さを、改めて強く感じた一週間だった。

発信すれば、応えてもらえる。
応えてもらえば、元気が出る。
元気が出て、仲間がいれば、何でもできる。
世界を変えるには、発信からですね...(サボりの反省も込めて)

最後に、素晴らしい記事を書いて下さった郷富佐子氏と
ステキな写真を撮って下さった若木信吾氏と、
JENを、広く知ってもらえる機会を与えて下さった、
朝日新聞Globeの皆さま、どうも有難うございます!

2009年4月20日月曜日

No.19 国際協力の現場から:底力を信じ触媒になる


 先祖代々譲り受けてきた土地を耕し、穏やかで幸せな生活を営んできた人々。紛争や災害でそれらの全てを失い、絶望を味わった彼らが支援の相手だ。過酷な日々をやっとの思いで生き延びたが、家族の安否さえわからない。食べ物は喉を通らず、目もうつろで、ただぼんやりと座っているだけだ。元気そうに振舞っていても、次の瞬間、目に涙を一杯に溜めていたりする。平和に慣れた日本から現地を訪れると、被災者への声のかけ方すらわからない。この仕事を続けるのが辛い、と思う瞬間だ。

 JENが行うのは、こうした人々を支える自立支援であるから、我々にも覚悟が必要だ。彼らの底力を信じきれるかどうかが試されるからだ。たとえか弱く見えたとしても、手を出し過ぎれば援助依存を生む。被災者の底力を信じて、やり過ぎない様に自制することは本当に辛い。
人は一人ひとり、自立する能力を持っている。紛争や災害などによってその能力が発揮できず、自立できない状況にある人が、再び(もしくは初めて)自立できる様に支えるのがJENの自立支援だ。だから、自立を教えるとか、命じるなどは、その対極にある。大切なのは、彼らの底力に対する我々の信頼が、事業を通して伝わっていくことだ。本人たちの自立したいという願いを信頼がそっと後押しすると、如実に効果があらわれるから不思議だ。

 事業が成功するかどうかは、支援を必要としている人々自身にかかっている。落胆の極みにいる彼らが活動に参加し、ほんの少しだけ状況が改善する。すると、参加者はわずかに自信を取り戻す。それによって、状況がもう少し変化する。更に自信を回復する。そのどの場面でも「化学変化」は彼らの中で起こっている。JENが「変化」を提供しているのではない。JENにできることは「化学変化」のきっかけを随所にちりばめた支援事業を計画し、人々に参加してもらうことだけなのだ。だから、JENは触媒だ。「化学変化」は、彼らの中にある。JENという触媒がなくとも起こる可能性は十分にある。それでも、変化が持続する効果的な触媒であるための辛さを、味わうことを嬉しいと思う。

(写真:スリランカ東部バティカロア県にて。言葉に隠された悩みを汲み、いち早いプロジェクトのスタートを目指す。写真中央は、JEN海外事業部次長・平野俊夫)

(ニュースレターNo37より転載)

2009年4月12日日曜日

水汲む人びと

井戸に人々が群がっている!

村人は正直なもので、不要なものには見向きもしないが、
本当に必要なものだと、頼まなくてもどんどん利用してくれる。


JENが掘らせてもらった井戸も、その一つらしい。

井戸管理委員会や、水質調査の話などはJENの『スーダン事業支援速報』に譲り、
ここでは、人々の水汲みの様子を書きたい。


テレケカのセント・ステファン校を訪れたときのこと、

元々の水汲み場に行く機会があった。

この水汲み場は、 よそで見た場所より水量が豊富だ。
それもそのはず、これはナイル川なのだ。


ひっきりなしに、女性や子どもが来ては、 水を汲み、帰ってゆく。
力のない子どもが頭に乗せるときは、
近くにいる大人が手伝うこともある。

石鹸で体を洗う人のすぐ横で、 水を汲んでいる老女が二人いた。

空のタンクを持って歩いてきた時も、

足を引きずっていて、
歩くのがやっとの様子だった。
水量が豊富だからタンク一杯に汲める。
結果、タンクは重くなる。

重いので自力では難しいと見えて、
互いに頭の上に乗せ合っている。


やっとの思いで頭に乗せ、

一歩一歩踏みしめる様に歩いて、
帰っていった。


水がなければ生きていけない。

そんな当たり前の事実が、
都会ボケした目の前に突きつけられる。

あれ程に足が悪くても、

水を汲みに来なくてはならない状況が、
彼女にはあるのだろう。

片道1時間が30分になっただけでも、 少しは楽になるはずだ。
そして、片道2時間もかけなければ、

水場にたどり着けない地域に住む人々が、
ここ
南部スーダンにはまだまだいるのだ。

2009年4月11日土曜日

感動の変化

昨日、JENの事業地であるラニャ郡から戻ってきた。
ジュバからは車で4時間、南に走った場所にある。

雨の降り始め、いつ雨期が始まるかというこの時期

舗装されていない道路の状態は悪化の一途を辿る。


5ヶ月前と余りに変わっていて、驚いたこと。
それはJENのスタッフだ。


顔ぶれが変わっているのではない。
顔つきが違うのだ。

5ヶ月前も、特に文句はなかった。
皆、一生懸命働いてくれていたし、

村人たちにも慕われている様子だった。

だが、今回は全然違う。

活き活きと働いているのだ。

自信に満ちて、堂々としている。

まるで「俺についてこい」と言わんばかりだ。


特にプロジェクト・オフィサーとして働く現地スタッフのMは見違えた。
日本から赴任しているプログラム・オフィサーのAが次に何をしたいかというのも、

あうんの呼吸で判るようだ。


きっと働く面白さを感じてくれているのだろう。

Aも嬉しそうにMの動きを見ている。


地域の人たちと一緒に事業を行うといっても、言うは易し、である。

村人が集まってくれない、

主体的に動いてくれない、

井戸が壊れても関心を持っていない、

集まっても前向きになれない...


ないないづくしの過程だっただろう。
きっと途中で、失敗に終わるかもという疑念や不安もよぎったことだろう。


ひと回り大きく感じられるMに、楽しそうだね、と言うと、
嬉しそうに「この仕事が大好きだ」と答えてくれた。


なぜ?と聞くと、

「最初難しかったけど、今は、どうすれば良いか判る」という。
Aが自分を信じて任せてくれるのも嬉しいという。


困難を乗り越えてしか、たどり着けない場所がある。
力を合わせて困難を乗り越えたAとMの間にある
しっかりとした絆が見えた気がした。


写真:ラニャ郡の小学校でこの日に行った衛生教育の様子。
日常の暮らしにおける行動をカードにして、

衛生的に適切かどうかをYESとNOでホワイトボードに分けて貼りながら、
ゲーム感覚で学ぶ。


2009年4月7日火曜日

南部スーダン、ジュバに来ています。

5ヶ月ぶりでジュバに戻ってきた。
これほどすぐに同じ現場を再訪するのは、事務局長になってからは、初めてだ。
知っている顔がたくさん迎えてくれて、先方も覚えていてくれて、素直に嬉しい。
この感覚は、中々得がたいものだ。

簡単には行けない国に仲間がいる。
それだけでもかなり嬉しい。
その人たちは、たった数年前までは縁もゆかりもないところにいた。
今はこうして、家族のように互いに支え合っている。(主に支えるのは彼らで、こちらは専ら支えられる方なのだが)
これはもう、極端に嬉しい。
その仲間たちが、きびきびと動いて働く姿を見られるのは、更に嬉しい。

こんなに喜びながら働ける仕事に就いていること自体が、
しみじみと有難い。


5ヶ月経って。
事務所の様子は、大分変化していた。

万年資金不足のJENでは、働く環境整備一つを取っても、やりたいことを常にやれる訳ではない。
シャワー室の壁にも、タイルを貼る予定はなかった。
なくて困らないものは、常に後回しになる。

そんな時、部屋の改修を依頼していた業者さんがミスをした。
お詫びの代わりにシャワー室の壁にタイルを貼ってもらったとのこと。
勿論、無料だ。
Aさん、その交渉力、流石です!

そして、目に付いたのは塀。
以前は竹の棒をメッシュに差して、塀の代わりにしていたが、
目隠しくらいにしかなっていなかった。

元々、塀とか壁とかには、余り良いイメージがない。
『分け隔て』するもの全般が嫌いなのだろう。

ここでも外の世界と事務所内を遮断する様で、
建てないで済むならそれに越したことはない。
だが治安の不安定なこの地域で安全に事業を実施し、スタッフが暮らしてゆくには、
この塀は必要不可欠なのだ。

聞けば皆は、「やっとホッとできた」とのこと。
Eさん、今まで苦労をかけたね。
忙しい事業実施の合間に、事務所整備も進めてくれて、本当に有難う!

そして、事務所兼住居を守ってくれる塀に向かって、
よろしく頼むね、と声を掛けた。

2009年3月31日火曜日

ブログ始めます!

ブログを始めることになった。

元々書くことには苦手意識があるが、『事務局長』として
JENのホームページとリンクしているのだと思うと、更に億劫だ。
一個人としてつぶやくならば、まだましなのだけど。

でも、考えてみると、伝えたいことはたくさんある。
だから事務局長か一個人かは気にしないことにした。

職場でも他の場所でも、毎日、面白いことには行き当たるし、
日々のワクワクや徒然なる妄想を書き綴ってみようと思う。


既に先週のニュースではあるが、ここ数日気に入っているのは、
WBCの後のインタビューでイチローがいった言葉だ。

リーダーなんかいらない。

一人一人が自分の進みたい方向を明確に認識していて、
一つのグループにいる人々の方向がほぼ一致しているなら、
確かにリーダーなんていらないし、能動的に支え合えるだろう。

そんな組織や社会にいれば、幸せ感が充満しているのでは?!
自分は他の人のサポーターであり、自分のリーダーでもある、なんて、
いい感じじゃないですか。

第一回はこんなところで。