2010年12月20日月曜日

本を書きました。『誰かのためなら人はがんばれる -国際自立支援の現場でみつけた生き方-』







(以下、JENの公式HPより) 特定非営利活動法人ジェン理事・事務局長、木山啓子による初の著書。旧ユーゴスラビア、イラクやアフガニスタン、スリランカで、厳しい状況に置かれた現地の人びとが、少しずつ力を取り戻していく様子を、何度も目の当たりにしてきました。そして、いったい何が人を支えているのか、教わりました。

「自立こそ、幸せの鍵である!」

JENの16年間の活動の中で、紛争・災害で厳しい状況にある人びとから教わった「幸せの鍵」を、皆さまにご紹介します。
2010年12月20日発売
木山啓子著 かんき出版発行
定価(本体1400円+税、送料別)

JENでも販売しています。

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2010年11月28日日曜日

池谷・入山の自立式

6年にわたる新潟での活動を終えるにあたり、東京都内で自立式を行いました。

記念すべきこの式典には、池谷・入山集落のみなさん、これまでボランティアとして池谷を何度も訪問してくださっている方など、大勢がお集りくださいました。



集落のみなさん


成長し続ける「十日町市地域おこし実行委員会」。メンバーも、全国津々浦々から集まっています。





ご来場者全員で記念撮影

2010年11月20日土曜日

No.25 国際協力の現場から : 人財が支える自立支援


 パキスタンでのJENの事業は過去9年間で5件に上る。『自立支援』なのになぜ、終わった後に始まるのか。持続可能な自立支援であれば、一たび終了すれば次の支援は不要となるはずではないのか。

 理由は単純だ。効果の広がる速度が極端に遅いからだ。適切な自立支援の後には、自立への道を再び歩み始めた人々とコミュニティがある。だが、周囲の状況が悪ければ、その遅々とした自立への歩みも後戻りすることさえある。周辺地域に効果が広がってゆくと楽観的に考えたとしても、気の遠くなるほど長い時間がかかる。

 元々、自立支援というもの自体が促進剤ではある。人が生まれながらにして持つ自立する力は、本来であれば、極端な貧困の中にあっても発揮される。支援の手など差し伸べられなくても人々は暮らしを向上させてゆくが、現状では、世界の仕組みがそれを難しくしている。厳しい暮らしに追い打ちをかける紛争や災害は、その歩みを更に鈍化させる。そんな状況でも自立する力が速やかに発揮されるように、サポートするのが自立支援だ。

 自立支援の効果の伝播の速度が遅ければ、様々な地域で支援のニーズがあることになる。例えばJENの支援地であったカシミール州(A.J.K)のバーグから今回の洪水支援の事業地であるハイバル・パフトゥン・ハー州(K.P.K)のチャルサダまでは約200km。日本でいえば、直線距離で東京から長野にあたる。バーグからバロチスタン州のジアラットに至っては約3,000km、北海道と沖縄ほど離れた場所にある。広いパキスタンのあちこちで大きな災害があれば、各地での支援がそれぞれ必要であるのは自明と言えるだろう。悲観論でも何でもなく、一つの地域で実施した自立支援の効果が他の地域に与える影響は、残念ながら現状ではあまり大きくない。

 だが、重要な影響を与えるものがある。地域を越えて移動できる人財だ。今回の洪水での緊急出動にも、カシミール地震支援で活躍してくれた現地職員が、現在就いている別の職を休んで駆けつけてくれた。既にJENの目指すものや仕事のやり方を判ってくれている職員は、到着したその日から活躍できる。緊急事態に遭って支援を待つ被災者の強い味方だ。文字通り叱咤激励しながら、被災の悲しみから立ち上がる人々を支えることができる。重要なのは、その職員が更に周りの職員や被災者を勇気づけ、次の『強い味方』を育成してゆくことだ。今回の洪水被災者緊急支援も、一定の期間を経て終了する。その後に残る人々が地域や国の財産となるような支援を続けたい。


(写真:がれきを取り除く工具を受け取る、洪水被災者。パキスタン・チャルサダ県にて)

(ニュースレターNo43より転載)

2010年9月17日金曜日

STAND UP TAKE ACTION(スタンド・アップ テイク・アクション)


JEN東京本部事務局のみんなと参加しました!




【1】貧困を終わらせる一員になる。アクション概要&参加方法
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世界の貧困問題解決を目指して、2000年に策定されたミレニアム
開発目標(MDGs)。世界189ヵ国の代表者たちが「2015年までに世界の
貧困を半減すること」などを約束しました。しかし、約束から10年
経った今、開発途上国への資金援助や技術支援は進んでおらず、
目標の達成は大変むずかしいと言われています。

2006年に始まった世界同時アクションSTAND UP(スタンド・アップ)は、
一人ひとりが立ち上がる(STAND UP)ことで、MDGsを達成し、貧困を
なくしたいという意志を示し、代表者たちに実現を求めてきました。
2009年は1億7000万人以上がこのアクションに参加し、世界の貧困を
なくすという強い声を各国の代表者たちに届けました。

9/20(月)~22(火)に、ミレニアム開発目標(MDGs)の達成を
振り返り、今後の取り組みを話し合う国連MDGsレビュー・サミットが
開催されます。そこで2010年は、サミット直前にスタンド・アップを
行い、出席する各国の代表者たちに私たちの意志を示し、MDGsの達成と
貧困問題解決に向けた取り組みを行うよう求めます。

MDGsの達成期限2015年まで、あと5年。残された時間はわずかです。
より多くの人々が参加すれば、各国の代表者たちは私たちの声を
無視できなくなります。世界の人々とともに「貧困を終わらせたい」
という意志を届けましょう!

●実施概要
・日時:9/17(金)9:00~9/19(日)24:00
・場所:日本全国どこでも

●参加方法
【1】スタンド・アップ宣誓文を読み、元気よく立ち上がる
【2】人数を数えたら、写真を撮って、WEBまたはFAXで報告する
【3】事務局が集計して、世界のリーダーたちに声を届けます。

▼日本全国どこでも参加できます!参加の詳しい手引きはこちら
http://www.standup2015.jp/standup/plan.html

2010年9月2日木曜日

No24: 国際協力の現場から: 忘れない、という支援の形



 援助疲労という言葉を聞いたことがあるだろうか。1990年代半ば頃、世界中の人々の注目を集めるような悲惨な出来事が世界各地で頻発した際、援助する国々が、度重なる資金拠出に悲鳴を上げ、これ以上援助するのが難しいという事態が起きたことがある。その時に語られた『Donor fatigue』の直訳だ。新しい緊急事態だけでなく、中々終わらない援助活動に対する資金拠出も長期にわたり、負担であったことは事実だろう。それにしても、援助する方だって大変だ、そうそうあてにしてもらっては困る、そんな気分が伝わってくる言葉だった。援助が必要となるような悲惨な出来事が起きたことに対しての責任のかけらも感じられない言葉だと思ったものだった。

 一方、『中々終わらない』といわれる支援事業は、実は、驚くべき速度で進んでいる。従事するスタッフたちは、寝る間も惜しむようにして働いている。ただ、支援ニーズは余りに大きく、配布物も中々行き渡らない。まるで、スポイトで水を一滴ずつたらすことでドラム缶を一杯にしようとしているようなもどかしさだ。そして、配られた物資は、その質も量も元の暮らしには程遠い。紛争や災害の被災地では、全てが必要だ。JENの支援で簡易住居を建てるためのトタン板を受け取っても、暮らしを始めることは出来ず、食料も衣料も医療も教育も必要なのは言うまでもない。それ以上に、仕事を始めないことには何も始まらないが、経済が大打撃を被っている現地では仕事も少ない。その状態からの復興なのだから、長い時間と辛抱強い支援が必要となってくる。

 長くかかるからこそ、紛争や災害が各地で頻発すれば、同時並行で二ヶ所も三ヶ所も支援が必要となり、援助に疲労したという感覚を持つこともあるかもしれない。特に、厳しい現実に立ち向かって日々努力する被災者の素顔を知らなければ、尚更だ。しかし、『援助依存』が取りざたされる被災地でも、無償で配布に協力してくれる現地の方はいる。温かく、しなやかで力強い彼らは、ただ支援を待っているだけの弱い人々ではない。状況が余りに厳しすぎて、再び立ち上がるきっかけをつかめずにいるだけなのだ。

 厳しい状況の中で一筋の光をつかみ、もう一度自分の足ですっくと立ち上がったとき、彼らの顔が誇りと喜びで輝く。その輝きを支えるのは、忘れずに長く支える一人一人の気持ちと行動だ。

(写真:夏暑く、真冬になると極寒のテント教室で、学習を余議なくされている子どもたち。アフガニスタン、パルワン州チャリカ、ハザド・キール小学校)

(ニュースレターNo42より転載)

2010年4月20日火曜日

No.23 国際協力の現場から:最高の瞬間とは?



 海外駐在しているJENのスタッフには、年に一度公費で帰国する機会が与えられる。これは単なる休暇ではなく、日頃ご支援下さる方々へのご報告をはじめ、本部での報告や人事面談、健康診断の受診、そして個人的な用事を済ませたりなど、かなり盛りだくさんなものだ。勿論、久しぶりに家族や友人に会って、ホッとすることも重要な『一時帰国』の要素の一つだ。

 こんな一時帰国のスタッフが、ここのところ立て続けに何人も本部に来てくれた。一年ぶりに再会するスタッフは、みんな一まわりも二まわりも成長していてまぶしいくらいだ。ものごとが予定通りに進むことなど皆無である支援の現場で、冷静に、時には熱くなって問題を一つ一つ解決し、支援活動を進めてきた。それぞれ、何かをやり遂げた充実感と自信が漲っている。

 ときには、疲れ果てた様子で帰ってくるスタッフもいる。荷が重過ぎる困難に果敢に立ち向かったから疲れてしまうのだ。そんなスタッフに、この1年間で最高の瞬間はどんな時だった?ときいてみる。すると、購入した資材の搬入が遅れて…とか、住民が協力してくれなくて…とか、役所の許可がおりなくて…などと辛そうに苦労話が始まる。

 文化も習慣も気候も実施している事業も、それぞれ全く違うはずなのに、意外にも殆どのスタッフの答えは同じだ。“最高の瞬間は、苦しい状況を乗り越えたとき”。でも、それには条件がある。単に乗り越えただけでは最高の瞬間にはならないのだ。困難に直面した時に現地スタッフや被災者たちと力を合わせ、気持ちを一つにして、助け合って乗り越える。困難が大きいほど気持ちが一つになる。力を合わせて大きな何かを乗り越えた時、最高の瞬間が訪れる。一人ひとりが、その感動のエピソードを聞かせてくれる。感謝と喜び、達成感に目を輝かせながら。

 人を支えるのも、励ますのも、苦しめるのも、人だ。絆があって人は前に進める。その絆に感謝する時、私たちの命が輝く。

(写真:ハイチ・グラン・ゴアーブにて。家は半壊してしまったけれど、シェルターキットさえあれば、あとはなんとかなる、と答えてくれた女性)

(ニュースレター No.41より転載)

2010年1月20日水曜日

No.22 国際協力の現場から:現地スタッフ能力発揮プロジェクト、始動!



 新年を迎えても、おめでとうと言えない位、各地の治安が悪化している。JENが支援事業を展開しているのは現在8ヶ所。治安や制度の制限を全く受けず、国際スタッフがいつでも自由に事業実施地まで行けるのは、なんと新潟だけだ。アフガニスタン、パキスタン、イラク、スーダン、スリランカ、ミャンマー、インドネシアの7カ国では、それぞれの理由で行動の制約を受けている。

 これまでは、地元の人と車座になって座っていつまでも話し合いを続けたり、地元の人が食べるものをご馳走になったり、じっとしていられない様な寒さの中、到着するトラックを地元の人と共に何時間も待ち続けたり、といったことを通して、言葉だけでは伝わらないものを国際スタッフも五感で感じながら事業を実施してきた。そういうやり方で被災者の状況や課題を深く理解するからこそ、彼ら自身が課題を解決してゆくことを支え、促し、見守ってこられたと思う。これからは、これを現地スタッフに担ってもらうしかない。

 そもそも、なぜ現地スタッフでなく国際スタッフがこれを担ってきたのか。様々な理由があるが、最も大きいのは『よそ者』としての関わりの大切さだ。現地の常識を覆す様な提案を、現地スタッフがすれば、地元の人々に取り合ってもらえないことがある。現状を変えられないと思い込んでいる地元の人々の中にあって、よそ者である国際スタッフたちは、より抵抗感少なく、現状を変えられることを伝え、変えようとする人々を勇気付けることができた。よそ者だからこそ取り組める課題がある場合もある。現地の常識を理解しながらも敢えて非常識な提案をよそ者がすることで、被災者の課題解決能力がより活性化されるのだ。

 事業地に国際スタッフが行けないという制約のために、このよそ者の役割をも現地スタッフにやってもらわなければならなくなってきた。よそ者でない彼らは、我々国際スタッフなら簡単に乗り越えられた『常識の壁』に激突しなければならない。それをも乗り越える潜在能力を彼らは元々持っている。その潜在能力が最大限に発揮できるようにサポートするプロジェクトをJENは2010年、開始する。これまでの『単なる能力強化』ではない。真の地元のリーダーを育成できるリーダーが育つことをサポートするのだ。厳しい状況だからこそ、JENの事業も進化しなければならない。新しい年の始まりとともに、JENの事業も新しい方向に、大きく舵を切った。

(写真:インドネシア・スマトラ島、パダン市郊外の学校にて。地震についてを学ぶ児童。ワークショップでは、教室でメカニズムを学び、実地の非難訓練を行います)

(ニュースレターNo.40より転載)