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Do Not Forget Afghanistanキャンペーンが始まります。
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2014年3月11日火曜日
東日本大震災から3年 - 温かく豊かな未来のために
2014年3月3日月曜日
2013年9月20日金曜日
2012年8月3日金曜日
No.32 国際協力の現場から:復興は、小さな幸せの積み重ね
このところの朝の日課は、ブルーベリーをヨーグルトに入れて食べることだ。このブルーベリーがめっぽう酸っぱい。なぜ好んで食べるかというと、猫の額ほどの実家の庭に実ったブルーベリーだからだ。最初の年は、5粒ほど口に入った。なるべく大きく育ち、木についたまま熟すのを待っていると、収穫直前に鳥に取られてしまう。だから、手に入ることすら貴重なのだという有難い話付きだった。去年は10粒ほど。鳥よけのネットをかけて守ったが、余り生らなかったらしい。三年目の今年は、日課として食べられるほどの大収穫で、酸っぱい味もまた格別、ということなのだ。
大災害や紛争は、こうした小さな幸せも根こそぎ奪ってしまう。そんな現場では、「復興とは」「自立とは」とそれぞれに自問し続けながらの復興とその支援が続く。
そもそも復興には元に戻すという意味がある。幸せな暮らしを送っていたなら、全てを元通りにしたいと本人が願うのは当然だ。支える我々もその思いをサポートしたいが、現実は厳しい。全てを元通りにはできないし、元に戻せないなら過去の幸せを礎にして新しい未来を築き上げるしかない。では、何を目指して、どこに向かってゆくのか。
「平和とは明日の計画を立てられること」とは、紛争中の国で出会った10歳の少女が教えてくれたことだ。当たり前の様に今日の延長線上に明日があるような錯覚を持ちながら暮らす私たちは、その延長線が突然断ち切られた時に、途方に暮れて立ちすくむ。途切れてしまった所からは、360度全ての方向に線を引くことが可能だ。これが、新しい線を引くことを一層困難にさせる。『全てが可能だったら何がしたいですか?』線を断ち切られていない人にとって、こんな質問は夢を語る作業につながる。よるべないままに線を引こうとする人々は、この質問に失った全ての大きさに暗い気持ちを深めることもある。
『元通りに』と言う時、被災された方々は、多くを求めてはいない。穏やかで小さな幸せに満たされた暮らしを取り戻したいだけだ。確かに明日が来ると思えること。その明日に向かって一歩一歩、歩を進める勇気を持てること。それを支える人と絆を結べること。そんなところに小さな幸せはある。その積み重ねの上に想像したこともない未来が広がっていると、一歩を踏み出したときには信じられなくても、小さな幸せの積み重ねの上に、未来は広がっている。元に戻れないなら、昔よりよくするしかない。誰も行ったことのないその未来へ、一歩を踏み出す勇気を支えることで、復興が進んでゆく。
(写真:アフガニスタンで実施をしている、学校の先生への衛生教育。
「次は、わたしが教える番だから」。
どの先生も真剣な眼差しです。)
(ニュースレターNo.50より転載)
2012年5月30日水曜日
2012年3月11日日曜日
東日本大震災から1年 -3.11に寄せて
2012年1月31日火曜日
No.30国際協力の現場から:ボランティアは今、何をすればいい?
極寒の被災当初のみでなく、春、夏、秋と、彼らは活躍を続けている。その原動力は厳しい現実に立ち向かう被災地の方々の笑顔だろう。二階の床まで浸水し、厚さ25cmの汚泥がまんべんなく入りこんだ自宅の片づけは、ボランティアなしではとても無理だった。被災された方々がありがとうと微笑む時、ボランティアの顔が輝く。誰かの役に立つことが、限りない喜びとなり、続けたいと思うのではないだろうか。
実はそこに、これからの支援のヒントがある。誰かの役に立つことで、人が生きる意味を再発見できるならば、それこそがまさに被災された方々が求めていることではないか。家族、財産、友人、仕事、思い出の場所、描いてきた未来、ありとあらゆるものを失った方々こそ、再び命を輝かせることを必要としている。
だから、これからのボランティアは被災された方々の世話になろう。
大震災の前まで東北から無意識にもらっていたものがたくさんある。あなたが作った牡蠣を、ワカメを、あなたが加工した漬け魚を、早く食べたいと言おう。民宿に泊まり、現地のごはんが美味しかったと伝えよう。現地で作れるもので、私たちが本当に必要としているもの、それを探し出して要望しよう。「してあげる」でなく「してもらう」それがこれからのボランティアであってほしい。
その為には現地に行き、私たちが日々必要としているもので被災地にあるものは何かを確認する必要がある。繁く足を運び、現地の方々と話し合い、よそに住む自分の問題の解決を要望しよう。彼らには、その力がある。そういう声に背中を押されて彼らは底力を発揮する。極限的な状態にある時、人は自分のためには頑張れないが、自分以外の誰かのためになら頑張れる。有難うといわれる気持良さを手渡して、被災された方々の底力を引き出す努力を我々ができるかどうかが試されている。
(写真:数ヶ月前までは面識がなかったご近所さんも、今は、同じ思いを共有する良き仲間)
(ニュースレターNo48より転載)
2011年7月5日火曜日
No.28 国際協力の現場から:意外と地道な緊急支援(支援の遅さについて)
東日本震災支援のための日本赤十字社(以下日赤)への義捐金は、とうとう2,500億円を超えた。236万件というから単純に日本の人口で割ると18%の人が募金をしたことになる。JENにも、1万893件の募金や物資のご寄付や労働力としてのご支援、そして助成が寄せられ、地震発生直後から多くの支援活動を実施させて頂くことができた。本当に有難いかぎりだ。
その義捐金が中々配布されないという批判を耳にするが、早く配れるための方策は単純だ。具体的な配布は市区町村の役場が行っているので、既に200%頑張っている役場のサポートを効果的に行えばよいのだ。ただし、日本中の役場から被災地の役場へのサポートは既に可能な限り実施されている。つまり、被災地の役場のニーズにまったく届いていないというのが現状だ。
東日本大震災の支援活動を行っている人々も団体も、みな一様に人財不足で苦しんでいる。多数のボランティアが現地に行ってはいても、長期間滞在しなければ、作業でない部分の仕事は担ってもらいにくい。作業を実行する人手としてのボランティアの存在も大切だが、仕事の仕切りができてある程度長期間現地に張り付くことのできる人財が圧倒的に足りていない。役場の場合は、個人情報や現金を扱う仕事に長期ボランティアを従事させられないという考えもあるのだろうが、支援が迅速に進み、且つこうした治安対策もできる、という方向を考えることが重要だ。
われわれNGOの現場での仕事も同様に、一つ一つの仕事を丁寧、且つ迅速に行うことが求められている。JENが石巻で実施している仮設住宅への生活必需品搬入事業を例にとってみよう。
まず、調達だ。迅速且つ効率的に大量の物資を調達するには、大量発注に応じてくれる業者さんに頼むのが一番早く、コストも安い。一方、かなりの量の物資は全国の善意の市民から市区町村の物資倉庫へと送られて放置されている。これを活かして無駄を省く努力をすると、購入代金も多少減るだろう。だが、これを活かすためには誰かが仕分けをしなければならないが、量も多く種類もばらばらで実際に仕分けして見なければ、活かせるものがどれ位あるのかもわからない状態だ。
JENでは、被災者の方々をアルバイトとして雇い、仕分けをしていただくことで日当を稼ぎ出してもらうことにした。膨大な量の仕分け作業を被災者の方のための『収入創出事業』に変えたのだ。
仮設住宅に生活必需品を搬入する事業を実施している、と言うと一軒当たりいくらかかるのかをよく訊かれる。実際には、仮設に入れる抽選に当たった人の家族構成によって一軒あたりの費用が当然変わってくる。家族の人数によって、そろえる数を変更する物資もあれば、何人家族でも入れなければならない物資もあるので、柔軟に対応する必要がある。その上、仕分けた支援物資をどれほど入れられるかがわからないので、購入費は大きく幅があるのだ。
搬入作業も、業者さんに依頼して、各戸に人数分を入れてもらう形にすれば楽なのだが、きめ細やかにすることで、被災者の方の収入にもなり、物資を寄付した方の善意も報われ、倉庫が一杯で苦しんでいる役場のお手伝いにもなる。
そして、生活必需品を搬入する際、入居される被災者の方へのささやかなメッセージを残している。見ず知らずの人々と軒を接して住まなければならなくなった人々が、温かく仮設住宅に迎え入れられたと感じてもらえるように。
急いで、しかし丁寧に。究極の選択が連続する現場は、東北でもまだ始まったばかり。復興までは、まだこれから気の遠くなる様な長い時間がかかる。
(写真:ボランティアの手により、側溝から泥を除去する作業が急ピッチで進む)
(ニュースレターNo46より転載)