ラベル 日本 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 日本 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年2月19日金曜日

日本ワインチャリティパーティにご来場くださったみなさま、ありがとうございました





サポーター、スタッフのみんなと集合写真。おつかれさまでした!

収益金は、JENの活動に大切に大切に、使わせていただきます!



2014年11月14日金曜日

Do Not Forget Afghanistanキャンペーンが始まります。


アフガニスタンの人たちとJENが復興に向けて歩みはじめて今年で13年。
JENは、これからもアフガニスタンの人たちの心の復興を、支えてゆきます。

JENのアフガニスタンでの活動について、詳しくはこちらから。
最新情報は、支援速報から。こちらをクリック

歳末募金へのご協力を、なにとぞよろしくお願いいたします。

クレジットカードによるご寄付は、こちらから。

ずっとJENを応援!「生きるちから マンスリーサポーター」へのご入会は、こちらから。

2014年4月10日木曜日

おかえり!






スタッフが緊急支援真っ最中のヨルダンから一時帰国しました。
弾丸出張(お疲れさま!)で、とんぼ返りの予定だそうです。

せめて週末、お花見まだ間に合うよ、楽しんでね!

彼女が担当するプロジェクトについては、こちらへ。

シリア難民支援(ホストコミュニティに避難しているシリア難民と受け入れコミュニティを対象にした支援活動)と、現地事務所の切り盛り全部です。


2014年3月11日火曜日

東日本大震災から3年 - 温かく豊かな未来のために



 再びこの日が巡ってきた。改めて亡くなられた方へお悔やみを、被災された方々へお見舞いを申し上げます。

あれから3年。そうした報道が増えてくるこの時期、私までもが『あれから3年』のブログを書くことに大いに抵抗感がある。記念日だけが特別なのではなく、日々の暮らしの中で遅い復興がわずかずつ進んでいる。願っている程の速度では物事が進まない中、1,096回の夜と朝がきたのだ。


ただ、こういう日だからこそ、これまでを振り返り、この先を考えてみたい。

3年前、緊急事態から始まった支援は、日々の暮らしを支えることが中心だった。長期的な復興につながる形での緊急支援を旨としているJENでも、半年先の自立を支えるための活動に終始した感がある。心のケア、生業支援、コミュニティの結びつきを取り戻す支援などを進めてきた。その結果、人口が激減している地域でも、人が戻ってきたり、住む家がないから戻れないけれど通いで戻って来たり、という現象も見られる様になった。遅々とした歩みであっても、一歩ずつ前に進んできた人も多い。JENの支援先ではないが、津波で全てを流された後、再開したある工場を知っている。食品を生産し、全国に販売している。外野にいる私の目には相当うまくいっている様に見えるが、それでも被災前の7割だと嘆いている。嘆きつつ、せめて10割、そしてその先を目指して邁進する姿はとても頼もしい。

同時に、復興に取り残されている感じを強めている人が増えているのが気になる。仮設暮らしがいつまで続くのか、というより、いつになったら次の段階に進めるのか、見当もつかず、精神的な負担が増えている。将来の計画を立てられず、希望が持てなければ、落ち着いて復興にまい進することは簡単ではない。

そして日々、人口が減っている被災地域の街々、村々。放置すれば少しずつ人口が減り、村や町としての機能を失う日が来てしまう。その日の前に誰かが何かをしなければ、その日は確実に来る。自分には遠い話の様だが、本当にそうだろうか。東日本大震災直後に私たちが思い知らされた様に、私達の暮らしは遠い地域や国と、思いの外密接に結びついている。私自身も、福島第一の原発事故前には、東京に住む自分が使う電気が、福島から来ていることに気づいていなかった。この食品、あの部品や原料が日本中、世界中を回っている。今のような暮らしを続けたければ、遠い地域の村々の復興を支えることが理に叶っている。

復興は、被災された方々の問題ではなく、直接被災していない私たちにとって重大なことだ。復興を支援した結果、自分の暮らしが少しだけ不自由になるかもしれない。それでも今、知恵と技術を駆使して心を支え、復興を推し進めなければ、難しさが増すばかりだ。出来ることは少ない、などと言っている余裕はない。出来ることを探して、実行に移していく。それを一人ひとりが進めることで、被災地域の復興が進み、豊かになり、巡り巡って遠くに住む私たちや未来を担う子どもたちの暮らしも温かく豊かになる。




2014311
特定非営利活動法人ジェン
理事・事務局長 木山啓子
 



2014年3月3日月曜日

第3回目「Chabo!チャリティ☆ラン」参加者大募集!

今年も開催!
皆さまとお会いできることを、楽しみにしています。

お申込みは、こちらから。

2013年9月20日金曜日

2012年8月3日金曜日

No.32 国際協力の現場から:復興は、小さな幸せの積み重ね



 このところの朝の日課は、ブルーベリーをヨーグルトに入れて食べることだ。このブルーベリーがめっぽう酸っぱい。なぜ好んで食べるかというと、猫の額ほどの実家の庭に実ったブルーベリーだからだ。最初の年は、5粒ほど口に入った。なるべく大きく育ち、木についたまま熟すのを待っていると、収穫直前に鳥に取られてしまう。だから、手に入ることすら貴重なのだという有難い話付きだった。去年は10粒ほど。鳥よけのネットをかけて守ったが、余り生らなかったらしい。三年目の今年は、日課として食べられるほどの大収穫で、酸っぱい味もまた格別、ということなのだ。


 大災害や紛争は、こうした小さな幸せも根こそぎ奪ってしまう。そんな現場では、「復興とは」「自立とは」とそれぞれに自問し続けながらの復興とその支援が続く。


 そもそも復興には元に戻すという意味がある。幸せな暮らしを送っていたなら、全てを元通りにしたいと本人が願うのは当然だ。支える我々もその思いをサポートしたいが、現実は厳しい。全てを元通りにはできないし、元に戻せないなら過去の幸せを礎にして新しい未来を築き上げるしかない。では、何を目指して、どこに向かってゆくのか。


 「平和とは明日の計画を立てられること」とは、紛争中の国で出会った10歳の少女が教えてくれたことだ。当たり前の様に今日の延長線上に明日があるような錯覚を持ちながら暮らす私たちは、その延長線が突然断ち切られた時に、途方に暮れて立ちすくむ。途切れてしまった所からは、360度全ての方向に線を引くことが可能だ。これが、新しい線を引くことを一層困難にさせる。『全てが可能だったら何がしたいですか?』線を断ち切られていない人にとって、こんな質問は夢を語る作業につながる。よるべないままに線を引こうとする人々は、この質問に失った全ての大きさに暗い気持ちを深めることもある。
 『元通りに』と言う時、被災された方々は、多くを求めてはいない。穏やかで小さな幸せに満たされた暮らしを取り戻したいだけだ。確かに明日が来ると思えること。その明日に向かって一歩一歩、歩を進める勇気を持てること。それを支える人と絆を結べること。そんなところに小さな幸せはある。その積み重ねの上に想像したこともない未来が広がっていると、一歩を踏み出したときには信じられなくても、小さな幸せの積み重ねの上に、未来は広がっている。元に戻れないなら、昔よりよくするしかない。誰も行ったことのないその未来へ、一歩を踏み出す勇気を支えることで、復興が進んでゆく。




(写真:アフガニスタンで実施をしている、学校の先生への衛生教育。
「次は、わたしが教える番だから」。
どの先生も真剣な眼差しです。)




(ニュースレターNo.50より転載)

2012年5月30日水曜日

インターン2名が卒業しました


ウクライナ出身の大学生、そして、企業勤務を経てマイクロクレジットを研究中の研究生。二人が同時に卒業しました。 

JENでは、インターンを募集しています。くわしくは、こちら

2012年3月11日日曜日

東日本大震災から1年 -3.11に寄せて

東日本大震災から一年目の今日、改めて心より亡くなられた方とそのご家族やご友人に哀悼の意を表します。そして、いまだ行方の判らない方々とそのご家族やご友人、被災されて精神的にも経済的にも厳しい状態で生活を続けていらっしゃる多くの皆様に、心からのお見舞いを申し上げます。

そして、この一年間、ジェンを通して被災された方々をご支援下さった多くの方々に、心より御礼を申し上げます。発災直後から、物資やご寄付、人的サポートなど、本当に多くの方から多大なるご支援をいただき、被災された方々の支援を続けることができました。ジェンは、被災された方々が安心して暮らせる日々を取り戻せるよう支えることを目指しているので、炊き出し、物資配布、泥だしなどの緊急支援から始まり、仮設住宅などへの生活再建支援、仮設商店街の建設、などを経て、現在は、子どもの支援、心のケアなどとともに生業の回復や絆の結び直しのサポートを中心に活動しています。国内外の一般個人、団体、法人の皆さまから東日本大震災に対してお預かりしたご寄付は、総額で約19億円に達し、うち約13億円を、これらのプロジェクトを通じて活用させていただくことができました。

ジェンも支援活動を行う宮城県石巻市は、風光明媚な牡鹿半島を擁する漁業や加工業が盛んな街です。一方、日本の地方都市の例にもれず、たくさんの社会的な課題を抱えてきました。また、2005年の1市6町の合併により、都市型と漁業や農業を営む郊外型のライフスタイルが広い地域にわたって共存してきました。あまりにも広範な地域を襲った今回の震災支援のニーズは、こうした多様なライフスタイルやもともとあった社会的課題とあいまって、ますます多岐にわたり、複雑なものになってきています。被災状況も、地域間でも個人間でも異なりますし、何とか復興への一歩を踏み出した方々によって、希望の光が見えてきた地域もある一方で、土地が未だ水沈したままの地域が存在します。震災直後には見えにくかったこうした違いが、少しずつ顕著になってきていて、問題を複雑にしています。全ての地域に適用できる解決方法は、初めから存在しないと言えるでしょう。

だからこそ、地域ごと、コミュニティごとに復興していくことが重要なのです。言うまでもなく、コミュニティは個人が形成しています。あまりにも大きなものを失った方々の中には、自立のためのスタートラインに立つどころか、未だ明日を描くことすら難しい方もいるのです。そんな方々も、必ず再び立ち上がれる日が来ます。そのためには、一人ぼっちではないと思えることがとても大切です。その意味でも、ジェンを通して被災された皆さんを支えて来て下さった方々に、改めてお礼を申し上げるとともに、忘れないで支え続けて下さいますよう、お願いいたします。

今回、この大震災の支援を支えてくださった方々は日本に住む方々だけではありませんでした。発災直後から、昼夜にわたってジェンの東京本部の電話を鳴らし続け、支援のお申し出をくださった方々の中には、本当に多くの海外の方々がいらっしゃいました。その中には、ジェンがこれまでに支援を続けてきた決して裕福ではない国々や事業地の人びとも含まれていました。そして、現在、ジェンが東北にお届けする支援は、それらの事業地で培った自立支援の経験に支えられています。いずれそのご恩をふたたびお返しすることができるよう、これからも、現地の方々とともに、復興とその先にある未来を目指す支援に尽力する所存です。

今後も東日本大震災からの復興と世界6カ国で人びとの生きる力を支えるために、皆さまからのサポートを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
2012311
特定非営利活動法人ジェン
理事・事務局長 木山啓子

2012年1月31日火曜日

No.30国際協力の現場から:ボランティアは今、何をすればいい?

 今回の東日本大震災では、日本人の助け合いの精神が外国から大いに評価された。日本中から被災地に物資が届き、ボランティアも駆け付けた。我々NGOは、緊急事態があれば出動するのがいわば仕事なので、駆けつけて当然だが、まだ雪のちらつく中、テントと食糧だけでなく飲み水まで持参して、長期間無償奉仕を続けるボランティア達の献身は、あっぱれというほかない。共に現地で支援に従事する我々でさえ、彼らの姿に勇気づけられたのだから、家を流され、家族の行方を案じている人々にとっては、どれほどの励ましになったことだろう。




 極寒の被災当初のみでなく、春、夏、秋と、彼らは活躍を続けている。その原動力は厳しい現実に立ち向かう被災地の方々の笑顔だろう。二階の床まで浸水し、厚さ25cmの汚泥がまんべんなく入りこんだ自宅の片づけは、ボランティアなしではとても無理だった。被災された方々がありがとうと微笑む時、ボランティアの顔が輝く。誰かの役に立つことが、限りない喜びとなり、続けたいと思うのではないだろうか。



 実はそこに、これからの支援のヒントがある。誰かの役に立つことで、人が生きる意味を再発見できるならば、それこそがまさに被災された方々が求めていることではないか。家族、財産、友人、仕事、思い出の場所、描いてきた未来、ありとあらゆるものを失った方々こそ、再び命を輝かせることを必要としている。



 だから、これからのボランティアは被災された方々の世話になろう。



 大震災の前まで東北から無意識にもらっていたものがたくさんある。あなたが作った牡蠣を、ワカメを、あなたが加工した漬け魚を、早く食べたいと言おう。民宿に泊まり、現地のごはんが美味しかったと伝えよう。現地で作れるもので、私たちが本当に必要としているもの、それを探し出して要望しよう。「してあげる」でなく「してもらう」それがこれからのボランティアであってほしい。
 その為には現地に行き、私たちが日々必要としているもので被災地にあるものは何かを確認する必要がある。繁く足を運び、現地の方々と話し合い、よそに住む自分の問題の解決を要望しよう。彼らには、その力がある。そういう声に背中を押されて彼らは底力を発揮する。極限的な状態にある時、人は自分のためには頑張れないが、自分以外の誰かのためになら頑張れる。有難うといわれる気持良さを手渡して、被災された方々の底力を引き出す努力を我々ができるかどうかが試されている。




(写真:数ヶ月前までは面識がなかったご近所さんも、今は、同じ思いを共有する良き仲間)



(ニュースレターNo48より転載)

2011年7月5日火曜日

No.28 国際協力の現場から:意外と地道な緊急支援(支援の遅さについて)




東日本震災支援のための日本赤十字社(以下日赤)への義捐金は、とうとう2,500億円を超えた。236万件というから単純に日本の人口で割ると18%の人が募金をしたことになる。JENにも、1万893件の募金や物資のご寄付や労働力としてのご支援、そして助成が寄せられ、地震発生直後から多くの支援活動を実施させて頂くことができた。本当に有難いかぎりだ。

その義捐金が中々配布されないという批判を耳にするが、早く配れるための方策は単純だ。具体的な配布は市区町村の役場が行っているので、既に200%頑張っている役場のサポートを効果的に行えばよいのだ。ただし、日本中の役場から被災地の役場へのサポートは既に可能な限り実施されている。つまり、被災地の役場のニーズにまったく届いていないというのが現状だ。

東日本大震災の支援活動を行っている人々も団体も、みな一様に人財不足で苦しんでいる。多数のボランティアが現地に行ってはいても、長期間滞在しなければ、作業でない部分の仕事は担ってもらいにくい。作業を実行する人手としてのボランティアの存在も大切だが、仕事の仕切りができてある程度長期間現地に張り付くことのできる人財が圧倒的に足りていない。役場の場合は、個人情報や現金を扱う仕事に長期ボランティアを従事させられないという考えもあるのだろうが、支援が迅速に進み、且つこうした治安対策もできる、という方向を考えることが重要だ。

われわれNGOの現場での仕事も同様に、一つ一つの仕事を丁寧、且つ迅速に行うことが求められている。JENが石巻で実施している仮設住宅への生活必需品搬入事業を例にとってみよう。

まず、調達だ。迅速且つ効率的に大量の物資を調達するには、大量発注に応じてくれる業者さんに頼むのが一番早く、コストも安い。一方、かなりの量の物資は全国の善意の市民から市区町村の物資倉庫へと送られて放置されている。これを活かして無駄を省く努力をすると、購入代金も多少減るだろう。だが、これを活かすためには誰かが仕分けをしなければならないが、量も多く種類もばらばらで実際に仕分けして見なければ、活かせるものがどれ位あるのかもわからない状態だ。

JENでは、被災者の方々をアルバイトとして雇い、仕分けをしていただくことで日当を稼ぎ出してもらうことにした。膨大な量の仕分け作業を被災者の方のための『収入創出事業』に変えたのだ。

仮設住宅に生活必需品を搬入する事業を実施している、と言うと一軒当たりいくらかかるのかをよく訊かれる。実際には、仮設に入れる抽選に当たった人の家族構成によって一軒あたりの費用が当然変わってくる。家族の人数によって、そろえる数を変更する物資もあれば、何人家族でも入れなければならない物資もあるので、柔軟に対応する必要がある。その上、仕分けた支援物資をどれほど入れられるかがわからないので、購入費は大きく幅があるのだ。

搬入作業も、業者さんに依頼して、各戸に人数分を入れてもらう形にすれば楽なのだが、きめ細やかにすることで、被災者の方の収入にもなり、物資を寄付した方の善意も報われ、倉庫が一杯で苦しんでいる役場のお手伝いにもなる。

そして、生活必需品を搬入する際、入居される被災者の方へのささやかなメッセージを残している。見ず知らずの人々と軒を接して住まなければならなくなった人々が、温かく仮設住宅に迎え入れられたと感じてもらえるように。

急いで、しかし丁寧に。究極の選択が連続する現場は、東北でもまだ始まったばかり。復興までは、まだこれから気の遠くなる様な長い時間がかかる。

(写真:ボランティアの手により、側溝から泥を除去する作業が急ピッチで進む)

(ニュースレターNo46より転載)

2011年6月22日水曜日

支援者の集い


6月18日、支援者の集いを開きました。

昨年、JENをご支援くださった皆様、東日本大震災をご支援くださっている皆様160名近くがお集まりくださいました。

この日は、JENの新しいロゴもお披露目させていただきました。